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清く正しい一青年の日記1日目

拙くてもいいから、まず一つ、小説を書いてみることにした。

最近ずっと「小説」について考えていて、読むのも小説について考えるために読んでいたし、ふと思い浮かぶ思考も、小説について考えているせいで思い浮かぶことだったり、そうでなくても、それを小説について考えるための材料にしようとしたりしていた。

どうしてそんなに「小説」について考えていたかというと、いずれ小説を書きたいと思っていたからだ。

小説についてよく言われることに、「何をどう書いてもいいのが小説」というのがある。僕が知っているたいていの小説家はそういう風に言っているように思う。

僕はバカなので、「そう言われても困ります、何をどう書いたらいいか教えてください」という気持ちに、ならないこともない。ならないこともないけれど、小説家の人がそういう風に言うのはなぜかということも、最近になってやっと分かってきたような気がする。

小説家の人たちはそれぞれ、その人のテリトリーとサイズで小説を書いているんだと思う。僕に、どんなに好きな小説家がいたとしても、僕とその小説家は同じテリトリーやサイズで生きてない。

そして、誰であれ自分のテリトリーとサイズを最大限活かすというやり方で小説を書かないと、小説というのは「うまくいかない」んだと思う。

どんなに好きな作家がいても、その作家のテリトリーとサイズを真似して僕の小説を書こうとしても、それはもう絶対に縮小再生産みたいなことにしかならない。

好きな作家がPで、僕がQだとしたら、僕がPの真似をしてみても、それはPかつQ以上のものにならない。Pの全体より少ないし、Qの全体よりも少ないものになってしまう。つまり縮小再生産。

だから、どんなに好きな作家がいても、ただその真似をするというような考え方では、僕は僕の小説を書けるようにならないんだろうと思う。

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