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清く正しい一青年の日記2日目

僕はしばらく、「一般的に小説というのはどういうものなのか?」ということを考えていた。

しばらくっていうのはけっこう長い時間のことで、小説についての一般論を、そうとうたくさん自分の中に溜め込んでいた。

そういうことをしていたのは、いずれ小説を書きたいなと思っていたからだけど、そんなことをしていても、一向に小説を書けるようにはならなかった。

小説についての知識が増えてあるレベルに達したら、いよいよ小説が書けるようになるんじゃないかなと思っていたわけだけど、「どうも、そういうもんじゃないんじゃないか?」と、ある時期から気がつき始めていた。

個々の小説っていうのは、小説の一般論の全部を反映しているわけではもちろんないし、よくできた小説というのはそうでない小説より、たくさん小説の一般論を反映しているというわけでさえない。

この世界にもし完璧な小説の詩学というのが存在したとしても、個々の具体的な小説は、その完璧な小説の詩学の全体を体現しているということは、ない。

マラルメでさえ、〈書物〉は実現できなかった。

小説を書くつもりであれば、大事なのは小説の一般論ではなくて、「私にとって小説とは何か?」ということしかないということに、さすがに気がついた。

それに気がついてから、僕の「小説とは何か」という問題は、「『僕にとって』小説とは何か」という問題になった。

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