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「うまく書けた」の罠:もっと他愛ないハナシ(その20)

なんであれ何か書いていると、時々「うまく言えてしまう」ということが、あるかなって思うんです。

「これ、うまいこと言えたなぁ、これを読んだ人は、『この人うまいこと言ってるなぁ』って、思ってくれそうだなぁ」

みたいな風に、書けてしまうことが、あると思うんです。

「お前はないだろ、うまく書けてるところを見たことないぞ」

って、ずっと読んできた人には言われそうですけど、まあまあ、そう言わず、続きを読んでください。

この、「うまく言えてしまう」=「うまく書けた」っていうのは、けっこうあやういというか、怪しいっていうことが、あるなって、思うんです。

書く人って、自分が書いたことに引きずられるっていうことが、まま、あるんじゃないかなって思うんです。

ただたんに本当にうまく書けたっていうときは、それはいいんです。「やった!」てなもんです。

問題は、「本当には思ってないことなんだけど、ただなんかうまく書けちゃったな」っていうときです。

そういう風に書けたとき、「これ、本当のことじゃないから使わない!」っていう自制がちゃんときいたらいいんですけど、「これ、ウケるんじゃない?」と思って、言ったり、書いたり、ツイートしたりしちゃう場合も、なくはないかもしれないなって、思うんですよね。

それが、「ウケようと思ってスベりました」くらいのことで済んだり、「あの人、かっこつけた文章書いてるな」って思われるたりするくらいのことで済めば、まあべつにいいかなって思うんですけど。

もっと問題だと思うのは、うまく書けたことを、自分の本音であると、自分自身がだんだんと感じるようになっていくかもしれないなぁ、っていうことなんです。

「うまいこと言おう」「うまいこと言おう」ってことばっかり考えていると、そういうことになっていきそうだなって思うので、僕は文章を書くとき、むしろ「うまいこと言わないようにする」っていうことを、考えてるんです。

そういうわけで……。

僕の文章のどこを取っても、ぜんぜんうまく書けてないのは、ワザとですから!

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