清く正しい一青年の日記5日目
小説には語り手というものがいる。
小説の語り手は作者と同一ではない。
僕はすべての小説がそうだろうと思っているのだけれど、そんなことはなくて、作者自身が語っているというような小説もあるのかもしれない。
例えば私小説というのは、作者自身が語っているんじゃないかと普通思われているかもしれない。
しかし、私小説の語り手は本当に作者自身なんだろうか? ということについては、考えてみてもいいことではないかと思う。
まあ、このことについては、今は深入りしないでおく。
僕は、僕が小説を書く場合には、僕自身が語るのではなくて、虚構の語り手に語ってもらいたいと思っている。
例えば、最近書きはじめた小説は一人称小説で、その語り手は僕にいくらか似ている。いくらかは似ているけれど、細かいところではっきりと僕とは違う人間として書いている。
語り手が僕と違うというのは、ただ設定として、ただ属性が、違うということだけではなくて、端的に他人だという違い方でもあると思っている。
とにかく、「語り手は僕ではない」という意識は、僕が小説を書くにあたって決定的に重要なことだと感じる。
どうして、語り手が僕(作者自身)であってはいけないのか?
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