朝乃山-照ノ富士
11月場所の中日(なかび)くらいに、ふと思い立って、引き出しに仕舞っていたウォーターフォードという強靭な水彩紙(A4、去年の画材屋さんのセールで買ってた)を引っ張り出して、おもむろに鉛筆で線画を描いた。
ウォーターフォードというのは、自分には、まだまだかなり荷の重い感じのする高級な、それでいて、恐ろしく包容力がある水彩紙だ。ひょんなご縁があって、何枚か自分の引き出しに入っていた。
その時なにを考えて自分が線画を起こしたのか、既にもうよくわからなくなってしまったが、それから1週間余り、熱い熱い場所が終わり、そこで感じた充実感と寂寥感と、何もかも、何日かに分けて、この絵の中にぶち込まれた、感じになった。どんだけそこに色を置いても、このあくあからーぺーぱーは、いっぱいいっぱいその思いを吸い込んでくれた。
たぶん水彩で描いた5枚めくらいの朝乃山である。誰がなんと云っても朝乃山である。似てるかどうかわからないといわれる大朝乃山トーテムポールがそびえる聖地(えっとあの富山の)にはそのうち行きたいが、そのうちがいつになるかは不明。
えらくかなしげな顔立ちになってしまった。なんだか、最近よく見る感じの顔立ちになってしまったともいう。この前に水彩で描いたのが三大関揃い踏みを(一人一枚ずつハガキに)描いたときで、そのときは、人間を描いているのか山を描いているのかよくわからなくなっていたのだが、今回筆を進めながら、人間山脈と云われても、そこにいるのはひとりの人間であって、その姿がどこかにだだ漏れになっている感覚、というのが、ずっとあった。
照ノ富士に負けて、それで休場、というのは、でかかったのかもしれない。前日に肩を痛めていたことを識らずに見ていて、あの相撲の衝撃と、そこからすぐ土俵からいなくなってしまった朝乃山の残像を、その後の照ノ富士の進撃の中に思い起こしながら、最後の最後まで声をあげながら(結局現地には行かなかったので)見ていたのがこの場所だったのだと。ああ、あの貴景勝の優勝インタビュー見ながら、声を出して泣きそうになったさ。一緒に見ていたひとに奇異に思われる前に、なんとか回避したけどね。
今場所の朝乃山と照ノ富士の対戦は3回めで、過去の対戦ではいずれも照ノ富士が勝っている。初顔は令和2年7月場所、「新大関の朝乃山」と「幕内に戻って幕尻で優勝を狙う照ノ富士」が、終盤13日目に当たるという図式であった。わたしはそのときたまたま月末で会議(だっけかな)が重なり、リアルタイムでその一番を見られなかった。7月場所で結びを見られなかったのはその日だけだったので、妙に(見られなかったことを)覚えていた。
最近2回はなぜか前半。9月は2連敗同士で3日目に当たった。そして圧倒された。そして今場所は2日目。当たるのが早すぎると悪態をつきながら見て、そして悪態をつきおわったあとの相撲はえらく一方的になってしまっていた。この相撲は、結果以上に重いものを打ち込んできた感覚が、今もある。
壁って、壁にぶち当たるって、どういうことなのだろうなということを考える。そして、次に当たるときにどんな一番になるのだろうかと考える。さすがに、来場所は、2日目3日目などという前半ではなくて、終盤に当たるのだろう。終盤だから、どちらも無事に戦い抜いての盛り上がる局面になるのなら、そうであってほしい。そこからは、どんな地図が出来上がるのだろうという状況になるのだろう。朝乃山を応援しながら見るには、えらく高くなっちゃった壁を感じつつも、だからこそそれを乗り越えてひっくり返すことを楽しみにしていて、ひっくり返らないことには、その先の展望は見えるのかどうかということになると思っている。朝乃山が照ノ富士に勝ったら、叫んじゃうんだろうなと思っている。
その山に深く深くかかっている雲が晴れて、バッチリと見えるような状況になることを、年を越しつつ楽しみにして、この取組の行方を見守る、となればいいと思っている。ひとつのものごとへの評価や位置づけは、ひとつの事柄だけで、決まることではないということを、この場所、土俵で戦っていたひとびとに、いっぱい教わって来たからこそ、そう思う。
土俵につどういろいろな方々が少しでも良い状態で、次の場所を迎えられるようにということをやっぱり願うのではあるが。
(ヘッダー写真は「朝の、山」。8月撮影の旭岳。今頃真っ白なのだろうか)
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