医療者に…

小さい頃、喘息持ちでよくヒューヒューさせていた。3人兄弟の真ん中だったので母は病院に連れて行くのも楽じゃなかっただろうと思う。
喘息がそこそこ落ち着いたら、花粉症が始まった。今で言うとアレルギーマーチかな?
花粉症っていう名前は、それほどされていなくて、自分を花粉症と知ったのは中学生になってからかな。鼻水が止まらなくなるので、眠れないし、春先は憂鬱だった。

小学校卒業前の冬。マラソン大会があってそのために毎朝走っていたので、順位はそこそこ上の方だった。そののち、咳が止まらなくなって呼吸が苦しくなった。医師の診断は肺門リンパ腺炎。肺結核だった。

当時、ピアノ、水泳、剣道、書道と習い事を忙しくしていた。母に頑張り過ぎたから病気になった!とずいぶん言われた。朝も走っていたし。母があまり病気のことを心配するので、そんなに重いのか?とますます具合が悪くなりそうな気がした。

病院のカルテに母気にし過ぎ!と書いてあるのを発見したことがあって、母が言う割に大したことはないのかな?とも思った。

病院にかかるまでは、咳が本当に苦しかったけど薬を飲んでからは楽になり病人という感じでもなかった。

それなのに、入学してから中学では授業以外保健室で寝かされた。昼休み寝て、体育の時間寝て、掃除の時間も寝かされる。

そりゃあ嫌でたまらなかった。

元々、本は好きだったけど本ぐらいしか楽しみはなかった。父が愛読していた吉川英治の太閤記や武者小路実篤を読んだ。その中の、

 『人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。
 健康の価値は病気してはじめてわかる。しかし健康になってしまえば、もう健康のことを忘れる。忘れるところがおもしろいところだ。

 人間の目的は健康にあるのではなく、地上でなすべきことを完全になしてゆくにある。』
(人生論)

を引用して健康の大切さを校内弁論大会で訴えた。中学1年の時だった。
その後、治癒。制限なく動けるようになって私が選んだのは歯科衛生士という仕事だった。

結果的に、健康の大切さを伝える職を選んだ。
その間には、いろんなことがあったのだけど。

いろんなことがあっていろんな人に出会って。
今、こうしてアウトプットをしている。

不思議なことだなぁと改めて思う。私は医療者として、この時代だからこそ伝えたいことがある。だから書く…


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