羽生結弦の幸福

 羽生結弦は今幸せなのだろうか、とふと考えることがある。心の底から幸せを噛み締めて笑うことが出来ているのだろうか。試合の際のインタビューでは彼の一時的な感情の一部しか知ることが出来ないので、日々どんなに感情を抱きながらスケートを滑っているのかはわからない。
 最近、彼の笑顔にどこか切なさを感じることがある。平昌五輪シーズンまで、そのような印象を抱いたことは一度もなかった。私自身彼の表面的な部分(演技やインタビューなど)しか見ていなかったのもある。だが、平昌五輪を機に彼が変わってしまったのは確かだ。
 平昌五輪シーズンまで、五輪で優勝、二連覇するという明確な目標があった。簡単に言えば、結果主義。結果が伴わなければ、納得しないし意味が無い。勝つために、高難度ジャンプを習得し、スケーティングスキルを向上させる。怪我やマスメディアの影響、練習についてコーチと揉めたこともあり苦しんだことも多々あったに違いないが、やるべきことが目に見えていたので、彼の迷いは少なかったように感じられる。また、彼が孤独に見えたことはなかった。1年の大半をカナダで過ごしており、練習に行けばコーチやチームメイトがいる。特にハビエルの影響は大きかったのではないか。世界の頂点を争うライバルではあったが、ハビは明るい性格で、2015年の世界選手権で羽生結弦を慰める姿がとても印象的だった。刺激し合い、高め合うのことのできる人間だったからこそ、お互いにとって意味のあるポジティブな存在だっただろう。そして、平昌五輪では2連覇を達成し、宇野昌磨が銀、ハビエルが銅という結果に終わり、それまでの彼のスケート人生で1番幸せな瞬間だったように見えた。
 当時の時点で足首の状態も限界に近かっただろう。平昌五輪で2連覇して引退。これが一番綺麗な退き方だった。だが彼はその道を選択しなかった。幼い頃からの夢である4Aを跳ぶことをモチベーションに突き進んだが、怪我の影響もあり思うようにいかなかった。試合に出る以上、他のジャンプや要素の手を抜くわけにはいかないので、並立が難しい。彼が2Aを跳べないように、4Aを練習し始めると3Aが安定しなくなるのでは無いかという懸念もあった。案の定、2020年あたりから3Aが本人比での質の最高のものを跳ぶ回数が減っていたように思える。試合に出続けたが、ネイサンチェンの壁は大きかった。4Aにこだわると言ってもあの負けず嫌いな彼が負けることを許せるわけがない。2019年ワールドで、負けは死も同然と言ったのを忘れられない。彼が1番苦しかったように見えたのは2019~20シーズン〜だ。オータムクラシックの、ファンも本人も疑問を抱く回転不足判定に始まったシーズン。GPS二戦では300点超えの絶好調。彼もファンもGPFでネイサンに勝てるのではないか?という希望を抱いただろう。だがそう簡単にはいかなかった。全日本では宇野昌磨に敗れた。あの時は、疲れや迷いも垣間見えた。思うようにいっていないんだろうな、と。プログラムを平昌シーズンのものに戻して世界選手権に臨もうとしたがコロナが大流行して中止。2020‐21シーズンは大会が軒並み中止され、カナダに渡航することもできず、日本で一人で調整を続けた。3Aも跳べない時期があり、たった一人、五輪王者がリンクで黙々と練習を続ける光景を想像するだけで心が痛い。2021‐22シーズンも4Aの習得のためにコーチをつけずに孤独で練習を続けた。練習で4Aに挑戦したことのある選手は複数いるが、どの選手も思い切り軸を殴っていた。以前の羽生結弦もそう。全日本や五輪で跳んだアクセルは、軸づくりの成果が現れており、研究や練習に相当な時間を費やしていたのがよくわかる。彼の肉体や精神は極限まで追い詰められていたに違いない。4Aについては、今の人類の限界にまで到達していただろう。
 北京五輪フリーが終わった直後のインタビューでは、いつものような負けて燃え上がる彼はもういなかった。命がけで4Aに挑んだ四年間。もちろん成功させてこそなので、報われなかったという言葉が出るのは理解できるが、その言葉を聞いて神様は残酷だと思ってしまった。だが、そのインタビューで、彼は何かから解放されたように見えた。そしてEXにかけて、「勝つこと」「4Aを成功させる」ことの縛りから逃れ、数年間で一番幸せな時間を謳歌しているように感じられた。平昌五輪が終わってから心の底から笑えていただろうか、無邪気な少年のような笑顔を見せたのはいつぶりだろうか、その瞬間が永遠に続いてほしいと思った。
 私は彼に幸せになって欲しい。あらゆるものを犠牲にしてスケートに命を懸け続け、今はだいぶ疲れているだろう。また、足首が完治するとは考え難いので、少しでも早く痛みが引くように願いたい。現役をいつ退くのかはわからないが、いつでも受け入れられるようなファンでありたい。そして、どんな形であれ心の底から笑っている日常を送ってほしい。
 拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。全て私の主観で述べたものなので、不快になられた方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。

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