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『紋霊記』その肆「宿る心」no.04

曰わく。
日本には八百万の神々がいるという。
八とは八方向の方角を示し、万とは全てを示す言葉でもある。つまり全ての方向、あらゆるもの全てに神々が宿っているのだと日本では考えられてきた。
神々にはそれぞれの特性がある。例えば川、山、風、火、地などなど様々な自然現象は人が抗えぬモノであり、説明出来ないものであった。人々はその説明、辻褄を合わせるために神を作り上げた。擬人化した。
例えば付喪神(九十九神)という考え方があるが、これは古びた道具にも魂が宿るというもの。
『百鬼夜行絵巻』に描かれるのは擬人化された古道具であるが、これらが付喪神という概念である。
紋霊、紋神と呼ばれる存在もまた同じであり、紋(その多くは家紋)に宿った神である。
かつては紋化や紋怪と書いて、モノノケとも言ったそうだ。モンノケが訛ったとも言われるし、物の怪からの変化とも言われる。
所謂、怪異そのものであり、妖怪やあやかしと呼ばれるものでもある。
また、モヅミ(モズミ)と呼称されるケースがいくつかの文献から見つかっている。いくつかの神社でオオモヅミノカミやオオモヅミノミコトなど(他にもいくつかのバリエーションがあるようである)で祀られた形跡が見られている(現在では祀られる例がほぼ見当たらない)。
この名称は「ヅ」は「ツ」が濁ったものであり、「の」を指し、「ミ」は神意を表す言葉であることから「もの神」、つまり「紋の神」の略称であると考えられている。
今では使われない言葉であるため、その真意は定かではない。

言の葉を発すると力を持つという言霊という力の存在。
人が名付け、それを口にすると力が宿る。自然現象に神の名を付けることで、その神は生まれその役割の神となる。
その瞬間、神もまた意識を持つようになるとも。

人に知恵がもたらされたのは文字による力が大きいという研究結果がある。
人は人に「伝える」ための手法として、何かを描くことを思いついた。それは絵。やがてそれは記号や図に進化し、やがて文字となった。
そんな進化の中、文様や紋章に発展してきたと考えられる。
人々はそれらに「意味」を与え、「名」を付けた。名がつくということは言葉として口から発される。
それはエネルギーとなるのである。その結果が「モヅミ」「紋霊」「紋神」「紋化」「紋怪」と呼ばれる存在が形成されてきたと思われる。

紋霊と呼ばれる存在(名称が非常に不安定で統一されていないため、ここがあえて『紋霊』と仮だが呼称しておくこととする)は文様から抜粋され、一つのシンボリックな絵として使われはじめ、それがいわゆる紋と呼ばれるものとして使われはじめたところから発生したようである。
初期の紋霊は存在が不安定だったようだ。それもそのはずで神は名を与えられ、その存在を知られ、頼られなければ消失してしまう。
これはいわゆる信仰とも言えるものなのかもしれないが、これと同じことが紋霊にもいえる。
家紋の始まりは牛車につけた車紋と後に呼ばれるようになったものだが、これは牛車の所有者が己の趣味趣向から選んだ、好みから選ばれたものである。
つまりそこに意味や意義は見出されずに使われたものであるから、後世に続く家紋とはやはり一線引かれる存在となってしまっているのだ。

かつて「神」と呼ばれた存在は現在の言葉に置き換えると科学という言葉で説明されてしまっている。
時代は移り変わっていく。そしてインターネットやAIが世界を変えていく。
今また世界が変革されていくと。人はより繋がりを求め、全体性を持っていくのでは無いかといわれている。
人の持つエネルギーはどうなっていくのだろうか。
恐らく、だが、人は言葉を持ち始めてから、「私」とはなんであるかの問いを常に行ってきている。それに向き合ってきたのが例えば「仏教」であったり、世界に古より存在する信仰。
答えがもしかしたらこの新しき世界で見えてくるのかもしれない。
人が求めるものとは一体なんなのであろう?


つづく

→ 第五話「家紋と京都と阿吽」

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