出来ない事をしようとする誤解すべて誤解だのお話

左胸が熱い。

唐突ですが、レッチリにジョンが復帰した事なんてまったく知りませんでした。そんな状態なのに、youtubeのサジェストに9月に行われたレッチリのライブ映像がいきなり出てきて、ちょっとプレビューしたら「ジョンがいるじゃない…えっ...?」となったわけです。

そんで、自分も、レッチリも、歳を食ったなぁとしみじみしてしまったわけです。完全に主観的な評価に基づくけども、とにかくグルーヴが低下しているの一言に尽きる。還暦にもなると、そういうものなんだろうか。フリーもジョンもチャドもテクニック的にひどく劣化したというような印象はないけど、アンソニーがドライブできてないような感じはある。それとも、このメンバーでのライブが久しぶりだから、だろうか。じっくりと聴くと、ミドル~ローテンポの曲はイイカンジだったりもするんだけど、やっぱりby the way とか can't stopとかは辛そうだ。

アタシ的には、できない事をやろうとしているように見えて、ちょっと痛々しい気持ちも正直わいた。この手の話は、身体能力がパフォーマンスに影響するあらゆるアーティストが避けて通れないと思う。キーを下げてライブをする人もいたりするし。そこには、ファンへのサービスもあれば、現実的な判断もありと、色々な妥協、折衷があるんだろう。アーティストに求めるものは、人それぞれで、納得できる人が金払ってでも観たいという事で集まるのなら、興行になんの問題もない。

けど、けどけどけども、やっぱりできない事はできない事なので、やらないというのは健康的なんじゃないかとも思うのアタシ。「今だとこれくらいしかできないけど、やる」という判断は、そこにある種の違った味わいが生まれたりするケースでは良いと思うんだけど。画家なんかは、生涯で画風に変化がでるのなんて普通だろうし。しかし、「無理をしている要素」が陰に陽にあるのなら、それを無視するのは若気の至りか超克的超人思想か、とにかく結果的にはノイズやらひずみ歪みが生まれてしまうのではなかろうか。

とはいえ、そういう細かい事を気にするのは完璧志向で、世の中の流れを妨げる部分もあるので、考え過ぎないようにもしなければなーとも思ったり。いやしかし、できないのに「求められているから」という理由で昔と同じことをしようとするのも、完璧に応えようとする行為だよな。難しいな。

年齢によるものだけじゃないよな、とも思う。単純にスキルが足りてないとか、はたから見ても情熱不足とか、色々なケースはありそう。個人的には、話が面白くもないしナチュラル陽キャでもないのに、やたら大声出したり明るく振る舞おうとする人はマジで見ていて辛い。「こう思われたい私」があるのは分かるけど、それは貴方の振る舞いに100%起因するわけじゃないし、滑ってる現状が分からない事それこそが原因として巨大なのよ...とか思ってしまう。面白くないのに人気者になってあまつさえメシ喰いたい、というのは、アタシから見て完全に不幸だ。しかし、世の中それでも「やる人間」は強い。なんだかんだで芽が出なくても、受け入れてくれる場所はあるだろう。
やりたい事と、向いている事、そのギャップが埋めがたい人生は辛いのか?

何の話でしたっけ。ウフフ。

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