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知らんぷり機能のお話

 情報が欲しい…なんでもいいから情報をくれ...的なモードが昨日から続いている実感がある。脳味噌を食べたら、その元の所有者の情報がダイレクトに摂取できるならいいのに...というくらい情報が欲しい。ブレ----イン。

そんな人間は、簡単に急性ネット中毒に陥るのも道理というものでおじゃりますれば、今日は身体がバキバキなのを言い訳にして、日がな一日ネットランニングマッハGOGOGOでした。

Twitterはアカウント消してしまった手前、どうも再開する気が湧かないのだが、何かをググるとtwitter垢のリンクが出てくる事もざらなので、サービスとして利用していなくとも、そこにある情報を結局利用している現状が歯がゆいわ。それに情報密度の薄さは相当でコスパ悪だが、情報禁断症状が発生している時には無限にディグれてしまうのは危険だな。

というわけで、代わりにnote内の記事を色々と検索したりしてみたが、あまり面白い記事に出会う事はなかった。

noteって、独特の空気感あるな。本当に色々な分野の記事があるけど、そこまで情報が濃く深く集まってるような雰囲気はあまり感じなかったわアタシ。むしろ、そこにクソ意識高い系ビジネス臭の漂うクエリまみれの記事が紛れ込む事で、妙なまとまりの悪さを感じる。ムーとananと日経ビジネスが同じ一冊にまとまってるようなもんだしな、当然か。使い方の問題だな。

結局、今日イチでハッとしたのは、ちいかわだった。そして、それは「ちいかわ」じゃなきゃいけない事でも何でもなかった。ハチワレが、カメラが欲しいという事で、手持ちのお金を眺め、足りない分の埋め合わせ方を考えているシーンを見て

「もうずっと、”アレが欲しいな”とか”アレがしたいな”といって、まとまったお金の運用を考えた記憶ないな」

と気づいた、というオチだ。

お金があれば(ほぼ)なんでもできる、どうとでもなるのが現実社会なのだが、お金が循環しない人生(無職)を送っていると、貯金は只の残りHPでしかない。しかもポーションや薬草は極少ない。仕事してた20代の頃は、月に8万まで使っていいってルールを設定していたので、3カ月先には24万のプールができるから...みたいな皮算用をしたものだったが、今はそんな事できない。手元に24万がないわけじゃない。それを使う恐怖を無視できない。知らんぷり機能が働かないのだ。
貨幣価値だって、暴落する事があるから、常に現状と同等の効果を期待していいものかどうかは疑問が残るけども、基本的にソコを疑っていたら世界が成り立たないくらいに盤石なものと規定して、人々は経済活動を行っているだろう。そういうマインドセットの元では、数カ月で補填可能な金額など、しらんぷり機能によって忘却の彼方へ。ヴァニシュ+デス炸裂だ。テテテテーテーテーテッテテー

杞憂…そうなのだ、杞憂なのだ。あたりまえだけど、杞憂を杞憂として一刀両断できるのは、杞憂であるという確信そのものだけじゃなかろうか。もはや意識にも上げないという ”しらんぷり機能” が、マジョリティと同程度の強さで働いていれば、杞憂なんてない、という事では。

細かく書けばキリがないのだが、将来的な展望が明るい世界情勢でも国内情勢でもないという意見には、それなりに賛同してもらえるんじゃないかなーとぼんやり思う。そんな中で、日々、過去の失敗の焼き直し・延長としか思えないような行為を続けてでも糊口をしのいでいくというのは、めちゃくちゃに精神が削られていくのではないッスか?

あ、ドロップアウトした身としては、こういう軽口でも叩かないとやっていられないの、許してってカンジです。

アタシは、そうしてでも頑張らなきゃいけないぞ!という現実を知らんぷりして生きている。しらんぷり機能がバグってHoneyなのだ。
そして、その内に金がジリ貧で尽きる事も、認識できているけどハートで受け止めていない状態なので、これもある種のしらんぷり機能作動中ってところだろう。
自分が何かを無視して生きている事実をまっすぐ認識するというのは、面白い。見えているのに分かっていない、そういうものを、自己の内にみるのだから。人なんていうのはブラックボックスである事よ。

アナタが苦しんでいる事象を、しらんぷりして生きてるアタシが息をしているという現実。それぞれが、それぞれ違う苦しみを味わい、違う苦境を無視している。お互いが、お互いを楽にできるヒントも、どこかその辺にあったりするのかも、と思ったりしたわ。

人生色々。男も色々。ケモナーだって色々咲き乱れるのよね。

生まれ変わったらバター犬になりたい。

なんの話でしたっけ。ウフフ。

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