誰が何と言おうが俺は言葉の定義に細かいおじさんだのお話(お前らダブルバインドを誤解してんだよオラァ編)

 アアアアアアアってなったので日に2本も記事を投下する事となった。

アタシは細かい。言葉の使い方、狭義を気にする。自身が正しく使用していなくとも、わかる範囲や正確さが重要だと思っている範囲で使われる言葉の定義にこだわるのだ。嫌なヤツだらう?

特にッ!自分が好きな領域での事柄であればッ!猶更だッ!

今日は「ダブルバインド」について怒髪天を衝いている。カッパハゲなのに、だ。それくらいイキリ勃っている。

ダブルバインドとはなんぞや?という方に、手っ取り早く概要を掴んでもらうにウィキペを使うのは常套手段と言えるのだが…

今回については、ウィキペディアも分かっちゃいねぇのだ。編集合戦とかしたくないしメンドイからしないが、あまりメジャーじゃない事象のウィキペディアでは正確さに欠けるのはよくある事なのだろう。
noteで検索しても、なんか使いやすいというか、キャッチ―な概念の様に思えるから気軽に使っているような場面を見る。
ここだ!その門外漢が間違った理解で使う事で、細部がおかしくなる事がッ!マニアには辛いのだッ!我慢ならんのだッ!

ここまで吹き上がっておいて、自分が間違ってましたというパティーンもありえるけど、腹をくくっている。ベイトソンの本を読んだ事で、とても生きる上で頭がすっきりした人間としては、この「細かい点」は「細かくない」のだ。ベイトソンの人となり、柔軟性、その慧眼からくる微に入った考察は、その細かさを見逃さなかったから生まれたもののはずだから。

巷に氾濫している「ダブルバインド」として例に挙げているもののほとんどは、只の「二律背反」でしかない。よくある例として

1.ママのそばにいらっしゃいと子供に声をかける。
2.(子供が寄ってこない場合)ママの事が嫌いなのね、と嫌味を言う。
3.(子供が寄って来た場合)邪魔と言わんばかりに突き放す。
4.こういった言動が繰り返される。
5.その結果、子供はコミュニケーション能力の発達に支障をきたし、疑心暗鬼や情緒不安になる。

みたいなのがある。
wikiのリンクを張ったのに、あえて内容をコピペすると、

(前提)2人以上の人間の間で

  1. 繰り返し経験され

  2. 最初に否定的な命令=メッセージが出され

  3. 次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される

  4. そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり

  5. ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる

という事なのだが、親子という関係性における保護被保護の相関が4を満たしている事が例からは少し分かりにくいかもしれない。
大体世の中のダブルバインドと言いたいだけの連中が見落とすのはこの点なのだ。上司のしかけるダブルバインドとか、そういう文脈で使いたがるからそういう事になるのだろう。会社を辞める訳にはいかないだろ?だから「逃げ出してはならないという第三の命令の条件を満たしているのだ」と言わんばかりだな。

しかし、ベイトソンのいうダブルバインドというのは、項目4の意味が若干違う。

「愛ゆえに逆らえない、逃げ出せない」という関係性が言外に醸し出されるという事が、項目4の真の姿なのだ。だから、説明の例として親子関係(特に母子)が用いられがちなのだ。例題に関係のラベルだけを持ち出しても、その真意が明言されるわけではない。免罪符にはならない。

いいか、よく聞け。

「愛ゆえに、頭のネジが飛んだような要求を繰り返す怪物の言う事を拒絶できない」悲しみがダブルバインドの本質なのだ。

そういう関係の悲しみを掬い取ろうとしたベイトソンの「美(やさしさの美徳とでもいおうか)」への畏敬の念、それがダブルバインドという概念が生まれ進もうとした方向性なのだ。

にわかやの新参者やのを下に見る古参みたいって言うな!(ムキー!)
初心者をイジめると業界が細る~みたいな趣味の領域の話じゃねんだワ。
うわべだけで済ましていい事ではない、それは望ましくないという事で。
細部をいい加減にしたことで、どこかで大きな齟齬になるって事、あるでしょって話で。

そういえば今度のエキュート様の配信は邪神ちゃんドロップキックのウィキペの間違いをリアルタイムで直そう配信って言ってたな。原作読み直しだな!

何の話でしたっけ。ウフフ。

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