体験の世代間共有のお話

 最近ハマったアニメ(邪神ちゃん)の声優さんの年齢が軒並み30前でピャーってなった。生まれたときにはプレステが既に発売してるとかZARAッスよ。「アンソニ~セガール~ご飯よ~」のCMの意味すらわからんお年頃なんスよ。こちとらMZ-700で不思議の森のアドベンチャーやっちゅねんですよ。
アタシも…ゲームウォッチにファミコン、ディスクシステム…ゲームが市民権を得る過程を見てきた世代になるのかしらね。骨董品に近づいてるわ。
 
現代は滅茶苦茶に技術の進歩が早いって考えに異論がある方少ないんじゃないかしら。それは陳腐化も早いってことでもあると思うと、少し寂しいというかもったいない気持ちにもなる。コンテンツを味わい尽くすことって、今ではまるで「時間の無駄無駄ァ」みたいなとこあるし。とはいえ、まだまだ技術の伸び代がある、先へ進みたいってエンジニアの好奇心はステキ。まだVRは俗世まで降りてきていないし、一般化したらまた違う世界が開けるのかもしれない。

ところで、これだけ体験したゲームの年代が違うと、今の子とアタシの間で、同じ「ゲームで遊んだことある」体験がある、と言えるのかしら。まぁ奇跡的にファミコンアスレチックとリングフィットはわかりあえそうやけどな!
ゲームばかりじゃなくて、外で遊ぶって話にしても、川に入るとか山で虫を捕るとか、チャンバラだとかBUCK-TICKでアメザリ吹っ飛ばすとかパチンコでクラッカーを派出所に撃ち込むとか、昭和おじさんの記憶は今の子供的には「見ちゃいけません」案件に思える。働くにしても、道具も環境も違うだろう。トラクター乗り回すてるとバッチャが「オレの頃は牛の鼻引っ張って耕したもんだば」っていわれるんだべ。

我々は既に親子の世代でも、文化的な断絶がありありと見える世界なんだろうか。江戸くらいまでだと、大して技術革新おきないから、親子三代同じ暮らしなんてざらだったんじゃないかな?しらんけど。イメージ的には「今の子は襟を抜きすぎてはしたないわ」みたいな着物の着方の話くらいしか思い付かないわ。

300年くらい技術革新がない世界って、皆が互いの背景を理解しやすい世界かもしれないなって思ったり。そんなの、つまらないかな?今のアタシは、そんなことないんちゃうの?って思ってる。相手の背景を理解しやすいじゃない?同じ尺度で見れる世界が広いのだから。人口がただ多くとも、繋がってる人数はそんなに多くない時代とは、また違った景色がみられそう。老若男女仲良くできそうじゃん。しらんけど。

ところで、いいなって思った声優さんの出身地が近いと変にアガるよね。話してて油断からか方言出たりすると「うわー方言ウチと似てるわー」とかなってキャイキャイするよね。

まぁしらんけど。

なんの話でしたっけ。ウフフ。

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