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ストーンズVS五木寛之

このインタビューのことは全く覚えていない。でも、いかにも五木が訊きそうな質問だと興味深かった。

自分は五木の初期エッセイ『風に吹かれて』を小学校6年ぐらいの時だったか?ヒマつぶしに読んでいた。その後の彼の大衆小説にはまったく興味を持てず。

五木は若い頃から欧米における黒人の差別および社会からの排除という問題に鋭敏だった。今でも覚えているのは、アメリカの黒人差別はひどい。ヨーロッパとりわけフランスはジャズをいち早く受け入れたように、アメリカと比べると差別は目立たないように見える。しかるに実は目に見えぬ差別が存在するのではないか?――という指摘だった。なかなかの慧眼だったと思う。

それは五木がジャズに傾倒していたからで、ジャズを芸術として認めたのは30年代のパリであって、決してアメリカ本国ではなかった。黒人音楽を見下す風習はずっと続いた。このことが念頭にあった。そんな彼には、ストーンズの立ち位置がいかにも奇妙に見えたろう。

忘れてはならないが、彼には自分が敗戦国日本の「ジャップ」だという認識が強くあった。ある種のコンプレックスをバネにした作家で、海外のどんな有名人に対しても物怖じせず、訊くべきことを訊いていた。

思い返せば、作家のそんな姿勢に我知らず影響を受けたように思う。自分自身も、相手が誰であれ疑問に思うことは真正面から訊くのをモットーにしてきた。

イギリスのインテリであるミック・ジャガーの書く歌詞は政治色が強い。これは階級を異とする黒人層にはまったく無縁の世界線で、「サティスファクション」をカバーする者はいても、「ストリート・ファイティンマン」を歌う黒人など存在しないだろう。

まして中南米でのCIAの暗躍を皮肉った「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」など、ヨーロッパのインテリにしか理解できない曲だ。にもかかわらず、そこそこヒットさせたのが凄いと思う。これこそがロックだ。ミックは民主党のクリントン元大統領と仲が好い。リベラル系の知識人なのである。

白人でも黒人でもない立場から、五木はストーンズの階級的位置づけに興味を持った。黒人でもないのに黒人音楽をやる白人としてのコウモリ的姿勢を自分らはどう考えているのかと問うた。で、そんな小難しいことキースは考えたこともなかったろう。かれは若い頃からひたすら黒人音楽に憧れてきた。ロックではなく「ロール」が肝心なのだと言い続けた。

この質問はストーンズの頭脳たるミックにこそ差し向けるべきだった。かれが知識人であることは対談でよく解っていたので、五木はむしろキースに訊いたのかもしれない。

ミック・ジャガーは、自分らがイギリスの白人社会から階級離脱していることを重々承知している。割り切った上で、サブカルチャーにおける1つの実験としてバンド活動を捉えている。黒人音楽ばかりでなく、あらゆる新しい音楽をストーンズに摂り入れた。そうすることで大成功を収め、ついに「サー」(貴族)の称号を手に入れた。これに対してキースは今なお黒人音楽に固執している。

ひと頃のミックとキースの対立は、たんに感情的なものというより、バンドをどんな方向で運営して行くかという本質的な問題と絡んでいた。実際にはミックが主導権を握った。むろんそれ以外に途はなかった。黒人音楽のコピーバンドというだけでは立ち行かなくなっていた。


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