見出し画像

ワタシの子どもが嫌がること

お母さんって、子どもをつい自分の所有物みたいにすることってありますよね? 「母は毎朝大きなおリボンをつけてくれるんです。それがすごくイヤだった。だってみんなにからかわれるから、、。」というお友達がいましたけど、そうなんですよ、自分は良かれと思ってやっていることなので、子どもがどんな気持ちでいるのかって(そこがいちばんなんだけど)お母さんは考えない。それに、子どもが嫌だったのは、おリボンではなく、みんなにからかわれることだったのかもしれないのです。

いずれにしても、子どもって、基本とっても繊細でやさしいので、大好きなお母さんの気持ちは受け取りたい、だから、嫌でも黙っている、というふうです。

私を知るエニアグラムの定義で言うなら、小さな子どもはまだエッセンスとのつながりを持っているので、「愛」「やさしさや思いやり」といったエッセンスでいっぱいです。そしてなおかつ、子どもは学ばなければなりません。どんなふうに周囲の人々と関わっていくのかをーーとても当たり前に、親や周囲の大人たちの反応を見ながら、学習していくことになります。そうして、徐々に「本質」とのつながりを手放していきます。

その、言わばジレンマを抱えたまま、私たちは成人式を迎え、社会人としての生活に入っていくのですが、幼い頃の「嫌=No」は心の片隅に残したままだったりするわけです。


さて、その「No!」は、然るべきときに、然るべき理由とともに表出”しよう”とします。そして、ほぼ同時に、あたかも蓋を閉める感覚の「いけない!」という圧がかかる。

行き場のない怒りが、腹に蓄積され、、、。


まあ、ここまで書けば「何が起きていたか」が少しは理解できると思いますが、それよりも大事なのは、何か腹立たしい感覚になったときには、できるだけ素早くその状況から離れ、深呼吸して、自分に起きていることを検証すべきです。


じっと見守っていると、子どもの頃に何度も味わわされた、あの「嫌なんだってば〜」と言う感覚に行き着くかもしれません。

そしたら、真っ直ぐ前を見て、「私の中にNoがあります。」と言ってみましょう。それだけでも、何かがスッキリするはずです。


そして、大人の私は、ワタシの子どもに言います。
「知らせてくれてありがとう。ここからは、大人の私が責任を持つからね。」と。



ワタシの子どもにアクセスできるようになるために
セルフ・インクワイアリーをお役立てください。
1Day オンライン詳細ページへ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?