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花菖蒲咲く宮地嶽神社と奧之宮


    福岡県福津市にある宮地嶽神社の境内に、梅雨の風物詩花菖蒲が咲き始めている。わずか3日間だけ咲く摩訶不思議な姿の花には、梅雨空の青白い光がよく似合う。宮地嶽神社で育成されているのは「江戸系花菖蒲」。他の品種に比べてやや小ぶりで派手さはないが、その清楚な雰囲気が神社の境内に相応しい。
 今年の梅雨入りは全国的に例年より遅く、北九州では来週以降になりそうだ。これからしばらくの間は恵みの雨と共に咲く草花を楽しみたい。


 この宮地嶽神社には本殿の奥、宮地山の斜面に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られている。ここには「一社一社をお参りすれば大願がかなう」という信仰があるが、「開運・商売繁盛」の御利益がある本殿に比べて参拝者はとても少なく、静寂に満ちた美しい森が広がっている。

 この八社の中でも特に注目すべきは、日本最大級の石室古墳がある「不動神社」。下記宮地嶽神社発行月刊紙の表紙には、その内部の様子が写されている。普段は入り口附近しか見ることはできないが、このような巨岩が全長約24メートルほどの石室内部に数十個並べられている。



 巨岩はひとつの重さは推定25~40トン。天井にも同様の巨岩が積まれている。
 ちなみにギザの三大ピラミッドのひとつ、クフ王のピラミッドに使われている230万個の石材のひとつは、平均2.5トン、大きな石でも最大7トンほど。

 この不動神社の巨岩は、神社にほど近い新宮海岸から北西に8kmほど離れた玄界灘に浮かぶ相の島あいのしまから船で運ばれたものであることが分かっている。

 ペトログリフ研究家「武内一忠氏」は特別に内部調査を行い、石の表面にペトログリフが彫られていたのを見つけ出した。それらは地中海系ルーン文字や、シュメール系海洋民族の文字だった。


 お宮の創建は4世紀初頭と考えられるが、古墳はそれより少し前の時期ではないだろうか。相の島から石材を運べるのはケルトの石工だけである。ケルトはシュメール民族と6000年来行動を共にしているし、フェニキアに造船技術を教えたのもケルトだった。後に石工は日本では穴太衆となっていく。造船技術は宮大工が後世引き継いだ。

武内一忠著『もう隠せない・真実の歴史』

 

不動神社石室古墳を覆う墳丘



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 国内外には巨岩を積み上げた石室古墳が多数存在する。有名な奈良県の明日香村にある「石舞台古墳」は、かつて存在した盛土がなくなっている状態であり、「舞台」ではない。この巨石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロメートルの多武峰から運ばれたもの。南側が約77トン、北側は約64トンある。
 

明日香村「石舞台古墳」
巨石が露出しているが、元は土を盛り上げた墳丘で覆われていた。
石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、右側が約77t、左側約64t。
これらの巨石は3キロ離れた場所から運ばれた。
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 同じ奈良の高取町「|与楽カンジョ古墳《ようらくカンジョこふん》」(乾城古墳)には盛土が施されたまま残っている。これらの巨石はすぐ裏手の山から運ばれたもの。重量は不明。

高取町「与楽カンジョ古墳」玄室内部
高さ5.3メートルは石舞台古墳を凌ぐ
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 サイエンスライター、ケイ・ミズモリ氏の研究によれば、古代人たちは楽器と(天然の崖など)自然の地形を巧みに利用して巨大な定常波発生装置を作り上げ、巨石を浮かせて遠くに飛ばす技術を有していた可能性があるという。
 実際、洋の東西を問わず「古代人が巨石を空中浮揚させた」という神話や伝承は数多く残されている。
 たとえば、ギリシア神話に登場するゼウスの息子アムピオンは竪琴の名手で、その音色は石をも動かしたとされる。
 また、マヤの伝説では、ウシュマル遺跡は巨石を口笛で動かすことができる小人種によって建造されたと伝わる。
 さらに、エジプトのピラミッド建造でも「石がゆっくり宙に浮かび、叩いただけで動いた」との伝承が残されているようだ。

Webムー


フランス、ブルターニュの支石墓
ラ・ロッシュ=オー=フェ
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イギリス・ソールズベリーのストーンヘンジ
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 古代の叡智「反重力技術」をもってすれば、島から巨岩を船に積み込み、陸路を進み、丘の上に積み重ねることは容易なことだったかもしれない。

 現代科学における音響学では、物体浮遊の研究が行われている。


 シドニー工科大学(UTS)とニューサウスウェールズ大学(UNSW)の科学者らは、新たな研究によれば、超音波を使った粒子の制御を微調整するのに役立つ方法を開発した。この方法は音響浮上分野への理解を深めるものだと彼らは述べている。
 物体の浮遊は、かつては SF やファンタジーでしか見られなかった現象だが、現在では音響学の一分野となり、さまざまな研究分野、産業、さらには愛好家の間でも実用化されている。
 しかし、高強度の音波を使用して小さな物体を空中に浮かせることは、目新しいことではない。音響放射圧を利用して重力を克服する理論的根拠は、研究者のルイス・キングが音波場における粒子の浮遊と、これが粒子に対して及ぼされる音響放射力の実証方法を初めて研究した 1930 年代にまで遡る。

The Debrief


 また20世紀においても、フロリダ州にあるコーラル・キャッスルという名の石造りの建造物がある。エドワード・リーズカルニン氏(1887年 - 1951年)が、たった一人で逆磁力や超自然的な能力を使って石を動かし彫刻したと主張している。

コーラル・キャッスルは、ラトビア系アメリカ人の奇人エドワード・リーズカルニン(1887年 - 1951年)が作ったウーライト 石灰岩の建造物である。フロリダ州マイアミ・デイド郡の未編入地域に位置し、ホームステッド市とレジャーシティ市の間にある。
この建造物は、それぞれ数トンの重さがある多数の大きな石で構成されており、板壁、テーブル、椅子、三日月、噴水、日時計など、さまざまな形に彫刻されている。現在は民間運営の観光地となっている。コーラル・キャッスルは、その創設にまつわる伝説で知られ、リーズカルニンが逆磁力や超自然的な能力を使って石を動かし、彫刻したと主張している。
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 宮地嶽不動神社の石室古墳の入り口までは立ち入ることができる。最初の巨岩も圧倒的な大きさだが、内部にはその数倍もの巨岩が並んでいる。

 入り口附近で手を叩いてみた。音が「パン!」と一瞬だけ反響し、すぐに収束する。圧迫されるような沈黙の世界。密閉感が半端ない。次に自分の思念エネルギーに全神経を集中し、思考を止め、静止する。するとそのエネルギーもまた岩に当たって跳ね返るように、脳内に充満するような感覚が起こった。そのまま瞑想に入れば、変性意識状態はすぐに起こるような気がする。

 どのようにして巨岩を運び、積み上げることができたかという議論はさておき、死者を埋葬するために、何故これほどまでに巨岩で囲んだ強固な密閉空間を造らなければならなかったのか。その背後に潜む制作者の意図とは何だったのか。

 これはいったい誰の為に造られたものなのだろう?
 後に残された者たちのアイデンティティの為なのか?
 それとも死後の世界に旅立った勲功者の来生の為?
 
 その問いの先には、この世に生きることと、生と死を超えた世界の神秘を解き明かすエッセンスが秘められている気がする。


「巨石文化は海洋民族が運んだ文化であり、古いものほど硬く、重く、大きい」  ─── 
ハーバード大学バリー・フェル教授

武内一忠著『真実の歴史』





福津市 花菖蒲咲く宮地嶽神社と奥之宮















































































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