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知らない神様が変えてしまうっていう話

本年の営業は終了いたしました。


2024年も変わらないご愛顧を何卒よろしくお願い申し上げます。



ここのところ忙しなく動き続けた反動で、クリスマスの大晦日もすっ飛ばして、精神が完全に休眠態勢に入った。
この土曜日も仕事だったとか、帰ってそのまま部屋の掃除と模様替えをして夜を更して晩御飯も食べずに寝たとか、誰かに言われた頓珍漢な批難とか、金欠だとか、そんな瑣末な事を全て2023年に置き去りにして自分だけ2024年で一人、世界の時間が追いついてくるのを待っている心持ちである。

去年は年末休暇まであと○営業日なんてカウントダウンをして精神を保っていたのに、今年はそんなものに縋る必要もない。年末休暇に入って浮かれている様子の投稿に腹を立てることもない。
無敵って、多分こういう状態のことなんだと思う。2023年に思い残すことがない。俗世ではこれを悟りと呼ぶのだろう。

去年はまだ少し、クリスマスの浮き足だった世間の風潮に目くじらを立てていたような気もする。今年はそんな気も起きないから少し自分の精神の成長を実感する。そういう気づきを与えてくれたという点において私は神に感謝したい。神様どうもありがとう。

キリスト教が世界で最も信仰を集めている宗教であり、その影響力は計り知れず、政治・経済・文化のさまざまに至るまでイエス様の御導きによって形作られているのは、概念として理解している。だから、クリスマスが世界的に大きなイベントであることに異論はない。

ただ、個人的にはクリスマスの日だけ担ぎ上げられてるのは不平等だと思うから八百万の神々を信仰する日本人として、
「左様であらば天照の日や月読命の日も作り給へ!」だとか、
「海の日と山の日があるなら空の日も作んなさいな」みたいな屁理屈を捏ねたくなる。

そうは言っても、実際にそうなるとすごくややこしいから、やっぱり今のままでいい。カレンダーの至る所に邇邇藝だの須佐之男だの天宇受売だのが記されるようになったら目眩がするし、
「今日は〇〇の日で〜す!」というのは朝の情報番組だけに留めておいてほしい。現状クリスマスは国民の休日でもないから、当たり前のように仕事をしていたって、日本ではなんの違和感もない。

なくなればいいみたいなアナーキーな思想を抱くこともなく、日付感覚が死んでる自分にとって、電飾の発光やモミの木の模造品は時間のズレを治してくれるいい道具にはなっている。お正月のしめ縄感覚でイルミネーションを素通りしている。

来年、クリスマスについて一切言及することがなくなったとしたらいよいよ本当にただの平日として自分の中で昇華できるのだと思う。

いつか何かの心変わりが発生して、クリスマスの潮流に飛び込む機会が来た時に、そこに飛び乗れるように窓口だけ広げといてもらえたら個人的にはありがたい。

クリスマスに羽目を外すという経験を、人生で1回くらいはあってもいいとは思っている。そういう未来がどこか近いうちに転がってくるのを寝ながら待っている。



万年床の上から送信



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