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以前、このnoteで教員の仕事は学校が存在することで過度に生産されるという話をした。要するに…
「もし大学に通っていなかったら、今の自分は本当にいなかったのか」という非常に興味深い問題…
良い教育というのは存在しない。そもそも"良い"という価値判断が主観的であるからだ。良い教育…
哲学者の山本哲士は、冗談半分(いや、クソ真面目)にこう質問する。 ①あなたは学校で何年間…
教師は尊敬されるべき存在だという価値観を、私は拒む。 個人が人間として尊敬されることはあ…
教えれば、教えるほど、学ぶ力が奪われるという話はよくあるものです。 しかし、それでも親や…
私が人生において最も大切にしているイヴァンイリッチの著書『脱学校の社会』の中にこのような一説がある。 これは私が最も影響を受けた言葉であり、常に忘れることなく生きているつもりである。 彼は私に、われわれの想像は「すべて学校化されてしまっている」と言った。(中略)われわれもまたみな、他者にとって何が必要な教育であり何がそうでないかを区別することができるとする妄想を抱いているのである。 『脱学校の社会』p.52 だからこそ、私は「教育」という行為がこの世で最も嫌いである。