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この時代に、自分の本音を魅せる姿勢。

SNSがたくさんある時代に、人の本名を検索すると、ブログからツイッターからfacebookなど割と沢山の、その人が考えているコンテンツが見られる時代になった。

友人の何人かは、SNSが得意だ。

・以前の私

料理をインスタグラムにあげるのが好きだったし、それなりに反響があることに面白さを感じていた。料理のモチベーションは上がったが、盛り付けや品数など、インスタの為にやっているのでは?と感じたこともあり、現在は料理アカを作り、友人とやり取りはしていない。料理をよく載せる友人もいれば、インスタ映えする世界観を取っている友人もいる。しかし、これらの世界観も、インスタありき、のコミュニケーションであると言える。友人と会ったとき、最近作ったごはんを見せたりする方が、だれに向けてか特定されていないコミュニケーションの形態であるインスタみてる程で話すより、丁寧だし、直接的だし、私はそういう手段で友人を知り、私を知ってもらいたいと思った。

・ブログが上手い友人達

その人と話している中では、その人のすごさとか、深く考えていることが全然わからない、という人が知り合いに複数人いる。むしろ何も考えていないんじゃないか、とにでさえ見受けられるが、周りはブログを読んでいるから、その人の奥深さや努力している姿がわかっている。こういう人の場合、ブログを事前に見たのと、見ていないのではその人に持つ印象が変わってくるのではないかと思う。前者は良い様に動くだろうが後者は?会話で思慮深さが伝わらず、単なる軽い人として見られて終わりなのではないだろうか。

自分も先輩から、軸がしっかりしているのに、キャピキャピしているから、何も考えていなさそうに見える、と言われたこともあるし、何も出来なさそうに見えるけど、ちゃんと諦めず最後まで仕事するよね、と言われたこともある。

人がもたらす印象と本質の乖離は難しい。

私が考えていることを知りたければSNS見れば、みたいなSNSが主流のコミュニケーションではなく、人との会話のなかで、どのぐらい本質的な部分を見せられるか&魅せられるかが自分の鍵になるな、と最近感じました。

いっぱい考えているのに、考えていなさそうに見えるのは不利ですよね。

その人との会話をメインに通じて、自分の存在を伝え、相手の考えを知りたいと思っています。SNSはサポート機能として存在する方が、素敵。






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