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「育ちの良さ」コンプレックス

人には、いろいろなコンプレックスがある。
どんなに美しく見える人や、強く見える人や、恵まれて見える人にも、必ず何かが欠損している、何かが足りない、という思いを抱える時期があると思う。
僕の場合、それは「育ちの良さ」と、「優しさ」と、「真面目さ」だ。
普通にしていたら不景気のこの世の中で、それを微塵も感じさせないように必死に自分を守りながら、暖かい家庭を維持してくれていた両親
その両親の善意と愛、つまり「育ちの良さ」に自分はコンプレックスを感じる時がある。

育ちがよい故に、「普通」の人々から距離を取られ、排除されたと自分が感じた経験が、思い返すと結構ある。
何をしても、自分の力ではなく「お前が恵まれていて、お前の両親が恵まれているからだ」と処理されているように感じることが、小さい頃から度々あった。
それに対して、自分個人の力で成り上がっていることを証明するために、過剰に個人の力を身に着け、誇示することに固執していた時期があった。
高校のときに、アメフトの部活をやり、日本一という結果を出したのも、それだと思う。
ただ、もちろん、学費や、高い防具を含めた部活の費用はすべて親に出してもらい、毎日母親には弁当を作ってもらい、小遣いももらっていた。

いくら自分一人で進もうとしても、その目の前の小石が、善意によって取り払われてしまう感じ。
善意によってそれがなされているので、遠ざけても「これだけしてあげているのにその態度は何」と言われ、言い返せない辛さと、環境に甘えている自分への嫌悪感
「育ちの悪い」とされる人たちの、誰にも頼らずに自分の力で進んでいっているように見える逞しさや自立心に対する負い目
最近、ようやくそれを言葉にして、前に進もうと思えるきっかけがあったが、今までの自分はずっとそのコンプレックスに囚われていたと思う。

小学校の頃、自分の家の近くの小さなアパートに住んでいる友達と仲が良かった
年上のお兄ちゃんがいるその子は、自分の知らない魚の釣り方や、おもしろい遊び場所や、僕たちが生まれる前からあったスーパーファミコンの古いゲームを知っていたりして、どこか大人びていて、そこに憧れていた。
多分お母さんが入れすぎた柔軟剤のいい匂いも、好きだった。
なにより、ただ二人で用水路でドジョウをとったり、古いゲームの変な声やバグで笑っているのが楽しかった。
ある日、彼が、プラスチックの安いベコベコになったバットを持ってきて遊んだ。
彼は野球がうまかった。
自分の家は、親父は本を読むのが好きで、テレビで野球を見ず、休日はビートルズかジャズかクラシックが流れている家だったので、野球道具はなく、当然自分は野球はおろか、キャッチボールもできなかった。
ぼくは、彼みたいになりたくて、親にバットをねだった。
自分を大事にしてくれて、経済的に余裕のある親は、ぼくにウレタンでできた、安全で、良いバットを買い与えてくれた。
ぼくは、その綺麗なバットを見て「これじゃないんだよ」という怒りと悲しみの入り混じった感情を感じた。
「これじゃないんだよ」と言って文句を言っている自分の情けなさを自覚して、さらに悲しくなった。
その綺麗な新品のバットを持っても、野球をやっていないので、空振りばかりする自分、その自分に強い情けなさ、カッコ悪さを感じたのを覚えている。

中学校のとき、親父の転勤の都合で東京から北九州に転校になった。
普通に授業中に聞かれたことを、退屈で早く進んでほしいのですぐ答えるだけで「東京モンは調子乗っとるわ」と言われてしまうので、授業は何も分からないテイで過ごすことにした。

小学校の頃から家にパソコンがあったので、当たり前のように使いこなし、部活のあとは海外サイトを翻訳して調べて、PSPを改造したりしていた。
「PSPにエロ動画を入れてくれ」という発端から、今まであまり仲良くなったことのない、ヤンキータイプの友達ができた。
そいつは、授業は殆ど聞かないし、俺の首を突然後ろから殴ってきて気絶させようとしたり、自転車を盗んだりするけど、バスで妊婦さんに席を譲ったり、雨の日に俺に「女の子と歩くときは、こうさせば女の子が濡れないんだぜ」と教えてくれたり、根はいいやつだった。
自分でどこまでも行っている逞しさ、おしゃれな服を着こなしているカッコよさにあこがれていた。

ある時、突然「連立方程式やりてーから教えてくれ」とそいつに言われて、放課後そいつに連立方程式を教えた。
チョークをガツガツ割りながら、連立方程式の解を黒板に書きなぐって「ほら、俺できるんよ!!」とそいつは笑った。
俺は、できないと思ってたんだな、と思った。

ある日の土曜日、俺は母親に買ってもらったサイズぴったりで新品のプーマのジャージ、そいつはどこで買ったかわからないブカブカのジャージを着て遊んでいた。
うちでスマブラをやろう、ということになった。
俺の親父は、土日は家にいて、難しい本を読んでいた。母親も家にいて、コーヒーを飲んで、二人で穏やかにクラシックを聴きながら話していた。
その二人に見守られながら、俺らはリビングでスマブラをやっていた。
30分もしないうちに、俺は何とも言えない居心地の悪さを感じた。
そいつも同じように感じていたみたいで、「ちょっと外行こうぜ」と言った。
二人で、そいつの家の近くの餃子を食べに行った。油が多く、うまくも不味くもなかった。
そいつは、寂しいような、怒っているような、複雑な表情を浮かべていたが、俺の家族のことは何も言わなかった。

俺は、何もしなくても勉強ができた。ある時、学年のテストで一番を取った。
周りは色々言ってきたが、一度やって覚えた夏休みの宿題の問題と答えを、解答用紙に写す、という作業をしただけなので、特に何も感じることはなかった。
その時、一緒にいた先述のヤンキー友達が、「調子乗っとるわコイツ!!」と言って、俺の保健体育の答案用紙をビリビリに破いて、仲間と笑った。
俺は、テストの答案用紙が破かれたことには特に何も思わなかったが、そいつとの埋まらない溝を感じた。
クラスの女子が、俺を心配して、先生にそのことを報告した。あとからわかった話だが、俺のことが好きだった女子が心配して友達に相談したらしい。
そいつの親と、俺の親を含めて、面談をすることになった。初めて見た、そいつの親父さんのリーゼント頭以外は、何を話したかあまり覚えていない。
そいつのお母さんは、仕事が忙しくて来なかった。
以降、そいつは俺にあっても「また親にチクられるから、絡まんでおこう」と、すれ違いざまに肩をぶつけながら、あてつけのように言うようになって、遊ぶことは無くなった。
その3ヶ月後、俺は母親の提案で、東京の高校を受験するために東京に戻った。

これが、俺の育ちの良さに対するコンプレックスだと思う。
それを人に共有しても、「なんて贅沢なことを言っているんだコイツは」という見られる、という思いがあるので、人に直接この話を共有することはない。
自分はただ、地元の仲間と「普通」の暮らしをして、仲間になって、楽しく遊んでいたかっただけだったが、自分の環境が恵まれすぎている、フラットにいえば、周りの人々と違うがゆえにそれができない、という経験が何度もあった。
こんなに恵まれている環境なのに、これしかできないのか、自分は、と自分を責めた時期もあった。
だし、住む場所を点々としているので、「地元」と呼ぶべき場所はない。
もはや、そういった世界には行くことはできないので、自分は世界を前にすすめること、「恵まれた」人間がやるべきことをやるしか無い、という気持ちを作り始めている。
そもそも、そんな線引き自体を世の中からなくしていくために、少しずつ行動していきたいと思っている。

「育ちがよい」故に持っている、「自分の好意は受け入れられるものだ」という思い、世界は希望に満ちていて、全ての人間は無条件で信頼するに値する、という底の部分でのポジティブ
それで居心地の悪さを感じ、距離を取ったり、自分を排除しようとする、自分の好きな人達
ただその人のあるがままを受け入れられずに、勝手に人の恵まれなさを見出して、それに対してなんとかしようとする、余計なお世話

これらを今はただ見つめて、向き合っている。

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