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一貫性について

私は、昔から一貫性を保つことが苦手だった。
檻の中に閉じ込められているような、あるいはロープで縛られているような気分だった。
申し込んでいないマラソンを走るような、気の遠くなるような感じもした。

毎日部屋を掃除する。
毎日仕事に行く。
毎日同じテーマで何かを作る。
特定の誰かと一生一緒にいる。

すべてが牢獄のように感じられた。

私は、できるだけランダムに、できるだけのびのびと、できるだけ「自由」になろうと決めた。
最初は、解放感があって気持ちよかった。

好きなときに起きた。
食べたいときに食べた。
好きなときに働いた。
好きな時に好きな人と寝た。

そんなライフスタイルを2年ほど続けた。
1年もすると、物事が混沌としてきた。
友人からの「お誘い」が多すぎて、すべてに反応してしまい、仕事ができない状態になった。

その状態で、カオスが閾値を超えて、しばらく家から出れない時期が続いた。
しばらくすると、面白いことが起こり始めた。

一貫性が出てきたのだ。
22:00~3:00くらいに創作活動をしていることが多い。特に音楽だ。
私は16:00頃に昼寝をする。
朝起きてすぐに、ノートに色々と書くようになったのは、あまりにも多くの思いつきや心配事が浮かんでいたからだ。
食事は1日2回。
常に思い出したり、考えたりする人が何人かいる。

このような一貫性が生まれたことで、私は独房の中にいるようには感じなくなった。
私は自由の森をさまよい、自分の洞窟を見つけたのだ。
自然に生まれる一貫性を見つけることは、私にとって非常に重要だ。
スムーズな流れを作り出し、調和の感覚を得ることだ。
そのプロセスを楽しむのだから、他人にはできない。

試行錯誤なくして、イノベーションは生まれない。
しかし、試行錯誤だけでは、イノベーションは生まれない。

試行錯誤しているうちに、運がよければ、宝石に磨ける石が見つかる。
一貫性を保つことで、その石を宝石に磨き上げる。

この一連の流れに、何の意味があるのか?
どうして最初から宝石が見つからないんだろう?
私は、まだ見つかっていない美しさのために、このようなことをしている。
まだ見つけかっていない道のために。
本に書かれていない経験のために。

古代の縄文人が、あの見事な土器を作ったのと同じ動機だ。

美しさを心から求めるのであれば、いつも戻ってくる場所がある。

1日、数週間、数カ月、あるいは数十年かかるかもしれないが、必ず戻ってくる。

そうやって、私は一貫性を保っている。

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