【要約】ブラック・スワン 第4章 千と一日、あるいはだまされないために

タレブは、この章で「 #七面鳥 」の例を出します。#バートランド・ラッセル が #帰納 の問題を描き出した例です。

七面鳥がいて毎日エサをもらっています。エサをもらうたび七面鳥は、人類の中でも親切な人たちがエサをくれる、またそれは一般的に成り立つ日々の法則なのだと信じていきます。そして1000日間、毎日エサをもらい続けてきました。ところが感謝祭の前の水曜日の午後、思いもしなかったことが七面鳥に降りかかります。

過去にわかっていることから、どうすれば将来についてわかるだろうということを考えていきます。七面鳥は昨日の出来事から明日何が待ってるか推し量ることができるか、ということです。エサをくれるその手に、首を絞められるかもいしれない、ということを。

ここで帰納的な推論の話になります。この七面鳥にとって経験がゼロどころかマイナスの価値になっていまうということです。七面鳥は観察結果から何事か学んだとします。私たちも同様に経験から学んでいくことはいいことだと思っています。

七面鳥は、エサをくれる回数が増えて確信が高まり、ツブされる日がどんどん近づいているのに逆に安心感が高まっていきます。そして安心感がいちばん高まるのは、リスクもいちばん高まったときだと。この問題は一般的な問題であり、経験で得た知識自体の性質が表れているとタレブは言います。

ナポレオン戦争の後、世界は平和な時期を迎え、それを見た人ならだれでも、深刻で破壊的な戦争はなくなったと思っていた時期に、当時の人類史上最悪の戦争が起こりました。

一方で、1987年に株式が暴落してから、トレーダーは10月になるとまた暴落が起こるのではないかと身構えると言います。かれらは、1987年の暴落には前例がなかったことを忘れています。そして、過去は未来を表現する一番信頼できる予測と思い込んでいます。だからこそ黒い白鳥がわからないのだとタレブは言っています。

同じような例として、1907年に「私の経験を振り返って、たった一度も事故に遭わなかった」と言ったスミス船長は、1912年にタイタニック号を沈めることになりました。

さて話は銀行に移ります。スミス船長と同様に、長い間安定的に利益を上げてきた銀行がたった一度の運命の逆転ですべてを失うとします。銀行の貸付業務は1日観察しても、1週間観察しても、1か月観察しても、うまくいっているかどうかわからないものです。1982年の夏にアメリカの大手銀行は過去の利益の累積に近い額の損を出しました。お金を貸していた中南米の国々がまとめて同時に返済不能に陥ったのが理由です。「きわめて異例の事態」ということになっていますが、銀行商売をやっていれば不意打ちを食らうもので、銀行はとても危ない商売で利益を稼いでいるわけなのです。

銀行は決して「慎重」ではなく、壊滅的に大きな損が出る可能性をじゅうたんの下にしまいこんで、そんなものはないと自分で自分をだますのがものすごくうまいというだけだとタレブは言います。

そして同じような出来事は、1990年にも起こりました。不動産市場の下落により、#貯蓄貸付組合 (S&L) がつぶれたも同然となり、破たん寸前の銀行が続出しました。このS&Lの救済のために税金が5000億ドルもつぎ込まれました。

さらに1998年、 #ロング・ターム・キャピタル・マネジメント#LTCM )というヘッジファンドがほとんど一瞬のうちに破たんするという出来事がありました。この会社は二人のノーベル経済学賞の学者のもつ手法とリスクの専門知識を利用していました。#ベル型カーブ に頼ったインチキ数学を使って、それを偉大な科学と思い込んでいました。そして史上最大のトレーディング損失がほとんどまばたきをするぐらいの間に起こったわけです(詳しくは17章で)。

もう一度七面鳥の問題に戻りましょう。七面鳥の立場にたつと1001日目にエサをもらえなかったのは「黒い白鳥(ブラックスワン)」です。でも鶏肉屋にとってはそうではなく、決して予期せぬ出来事ではないわけです。つまり「黒い白鳥」にひっかかるのはカモだということです。

そして、この手の事象は一瞬に起こるとは限らず、ゆっくり積み重なる場合もあります。たとえば、テクノロジーの進化やゆっくり売れ続けるベストセラーなのです。一方で地震や9.11などは短時間です。従い、ものごとは相対的な時間の長さで見るべきで、絶対的な長さでみてはいけないということになります。

一般的には、良いほうの黒い白鳥は時間がかかり、悪いほうの黒い白鳥はとても素早く起こります。つくるより壊すほうがずっと簡単で、ずっと早いのです。

この後、哲学としての懐疑主義、帰納の問題について、ヒューム、セクストス、アルガゼルなどについての記述がありますが、省略します。ただ、タレブは自分自身を、哲学者の言う懐疑主義者ではなく、自分は実践家で、大事なことでカモになりたくない、というのが目標と言います。

過去にタレブは「そんなにリスクを気にしてちゃ道も渡れないんじゃないか」なんて言われたが、タレブ自身はリスクはとるほうが好きであると言います。そして「私がこの本で書きたいのは、目をつぶったまま道を渡るのはやめようということだ」と。