【要約】ブラック・スワン 第10章 予想のスキャンダル

タレブは、シドニーのオペラハウスを知識に対する人類の自惚れの記念碑だと言います。オペラハウスは建設費700万豪州ドルで、1963年にオープンするはずでした。でもやっと開場したのはその10年も後で、そのうえ最初の計画よりもつつましいものになりました。建設費は結局1億400万豪州ドルもかかりました。

ただし、オペラハウスの話は、この章に出てくる中では一番マシな歪みだと言います。それはお金だけで事がすんでいて、罪のない人の血が流れていないからだと。

この章で論じる題目は二つあります。

第一に、自分は何を知っていると思っているかという件では、私たちは明らかに思い上がっているということです。私たちは、実際よりもほんの少しだけ多く知っていると思ってしまう傾向があり、そのほんの少しだけで十分に、ときどき大変な問題に行き当たります。

第二に、そういううぬぼれが予測にかかわるあらゆる活動にどんな影響をおよぼすのかを見ます。そもそもどうして、私たちはこんなにも予想をするのだろうか、またどうして自分の予測の成績のことは話さないのか、さらにどうしていつも大きな事件を予測できないのがわからないのだろうか? タレブはこれを「予測のスキャンダル」と呼んでいます。

知識に関するうぬぼれ、つまり自分の知識を過大評価する傾向を検討します。

参加者に、あることに対して数字の範囲を推測してもらいます。その正しい確率が98%、間違っている確率が2%になるように自由に範囲を決めてもらいます。

例としてこのようなものになります。

「ラジャスタンの人口は98%の確率で1500万人から2300万人の範囲にあると思う」

「ロシアのエカチェリーナ2世の愛人の数は98%の確率で34人から63人の範囲にあるだろう」

正しく推測できていれば、仮にサンプル数が100人だと、間違う人は2人以内ということになります。ところが結果は、45%が間違ったということです。これはハーヴァード・ビジネススクールの学生だったということですが、その後何十回もさまざまな母集団、職業、文化にわたって検証がされたということです。その結果は、2%になるはずが、実際には15%から30%の間になり、値は母集団とお題で変わるとのことです。

このような知識に関するうぬぼれにより、不確実な状態がとりうる範囲を押し縮めて、自分が知っていることを過大に見積もり、不確実性は過小に見積もるということになります。

このエカチェリーナの愛人の数ではなく、たとえば、株式市場の収益率、石油価格、社会保障基金の赤字、等々の数字をあてるとどうなるでしょうか? それらの数字に対して、仕事で予測を行う人のほとんどは、さきほどの精神の障害を抱えているわけです。

情報は知識の妨げになるとタレブは言います。

実験として、2つのグループに分けて、ピンぼけの消火栓を見せます。一方のグループでは、解像度を10段階に分けてゆっくり上げます。もう一方のグループではもっと素早く5段階で上げます。そして同じ解像度のところでそれぞれのグループに何の画像か尋ねます。

先に消火栓だと見分けるのは、踏んだ段階の少ない方だと言います。情報を与えれば与えるほど、その人がたてる仮説が多くなり、どんどん間違ったほうへ進んでしまいます。

問題は、私たちの思いつきはまとわりつくということです。いったん仮説を立てると、私たちはなかなか考えを変えられないのです。

弱い証拠にもとづいて意見を決めないといけない場合、後から自分の意見に対立する情報が入っても、私たちはそれをうまく解釈できません。これは、第5章で見た追認バイアスと、判断への固執、つまりいったん決めてしまった意見を変えられない傾向です。

タレブは専門家について語っています。様々な専門家と言われる人の中でも、特にはっきりとした付加価値をまったく生み出していない連中は、一般的に将来、つまり動くものを相手にしている「専門家」であると言います。

専門家が抱える問題とは、自分がわかっていないということを彼らはわかっていないことです。知識が不足していながら、自分の知識の質に幻想をもっています。

心理学者のフィリップ・テトロックは、政治と経済の専門家の商売を分析しました。様々な事件が特定の期間に起こる可能性を予測させ、300人から2万7000件の予測を集めました。

この分析によれば、専門家の誤差率はどう見ても、彼らが自分で思っている水準の何倍も大きいという結果になりました。さらにテトロックが焦点を当てたのは、専門家があんまり仕事のできない人間なのがどうしてわからないのか、という点でした。

どうやらこれは、わからないほうがいい理由があるからで、だいたいは自分の信念や自尊心を守るためだと言います。そこで、さらに被験者が後づけの説明をひねり出す仕組みに切り込みました。

・別なゲームをやっていることにする。政治の予測をしていたら、経済の問題が生じた、またその逆、ということで自分の専門外なことが起こったためであり、自分の能力が足りなかったわけでないと言います。

・異常な事態が起こったことにする。普通の仕組みや科学の体系の外にある結果が出たということです。まさに黒い白鳥で、予測は不可能、自分のせいじゃない、と言います。1000年に1度、100年に一度とかの出来事にするわけです。

・「ほとんど正しかった」なる言い訳。振り返って考えるときには予測した値や情報の枠組みを修正できるので、惜しかったんだと簡単に思い込めます。

うまく行けば自分の能力のおかげだと思い、失敗すれば自分ではどうにもならない外生的な事象、つまりまぐれのせいにします。人間はそんな非対称性に振り回されるわけです。

オペラハウスのように計画が失敗に終わるのは、タレブが「トンネル化」と呼んでいる現象のせいです。つまり計画自体にはない不確実性の源を無視してしまうからです。

しかも、予想外の出来事は計画に対して一方向にだけ影響を及ぼします。完成するのにかかるコストや時間が大きくなる一方なのです。それが逆方向に働くことはめったにありません。

より短期間で完成するとしてしまう予測の誤差は実験でも確かめられています。また、オタク効果とタレブが言う、モデルに乗らないものを無視してしまうリスク、つまり自分の知っていることばかりに焦点を当ててしまうリスクです。

企業や政府が行う予測には、誤差率、つまりありうる間違いの割合が一緒に示されていません。

間違う割合を考慮に入れずに予想をするには、人の誤りが3つかかわっています。

1)バラツキには大きな意味があること。実際に意思決定するときの方針は、結果の期待値そのものより結果がとりうる範囲のほうで決まるのものです。

2)予測期間が長くなれば、予測が劣化することを勘定に入れられない。予測は、遠い将来のことになればなるほど質が悪くなります。

「賢者とは、将来に起こることが見える人のこと」とよく言います。でもおそらく、賢者とは、遠い将来に起こることなんか見えるもんじゃないと言っている人のことだ、とタレブは言います。


3)予測される変数のランダムな性質を見誤る。私たちは果ての国では、稀な事象がどんな影響を及ぼすのかほとんどわかりません。