【要約】ブラック・スワン 第16章 まぐれの美学

この章の冒頭で、タレブは ブノア・マンデルブロの人柄、功績、そしていかに洗練された人物かを説明しています。

#フラクタル は、#マンデルブロ がデコボコでコナゴナなものの幾何を描くために作った言葉で、フラクタル性とは、幾何学的に同じパターンがさまざまに異なる尺度のレベルで繰り返し現れることを指しています。この章で、フラクタルがある種の不確実性に応用できることを示します。そういう不確実性が、マンデルブロ的ランダム性なのです。

たとえば、葉っぱの葉脈は枝みたいに見え、枝は木みたいに見えます。岩は小さな山のように見えます。イギリスの海岸線は飛行機から見ても虫眼鏡で見ても同じような形をしています。こういう #自己アフィン性#自己相似性 )があると、短くて簡単な繰り返しのルールを使って、一見ものすごく複雑な図形を描けるということになります。

マンデルブロは、今では #マンデルブロ集合 と呼ばれるようになった、数学の歴史の中で一番有名な図形を設計しました。このフラクタルの応用例は、コンピューターの図形、建築、絵画、音楽、詩など様々な分野で見られます。

フラクタルにおいて鍵になるのは、フラクタルには数量的な基準、つまり統計的な測度があって、それが尺度を変えても一定に保たれるということです。ガウス分布と違って、比率は一定なのです。

1960年代、マンデルブロは、商品価格や金融証券の価格について考えたことを提示しました。当時金融経済学者は大喜びしました。しかしながら、それから44年経った今、経済学や社会科学の統計は何一つ変わっていない状況です。私たちは弱い #ランダム性 にしかさらされていないとでも言うように世界を扱って、うわべだけで誤魔化す小手先の技が発達しただけなのです。

フラクタルには、上限があると言う問題(でもどのくらい高いところにあるかわからない)や、 #ベキ数 の推定の問題があります。タレブは、経験上、推定するベキ数は過大評価されている(大きなかい離の果たす役割が小さい)可能性が高いと言います。つまり、目に見える部分は見えない部分より黒い拍校っぽさが少ないわけです。ショックの大きさを過小評価してしまうということです。

また、確率分布がガウスかフラクタルか、あるいはもっと別のものか知るには過去のデータが必要です。その際、自分の考えを裏付けるのにはどれだけのデータが必要か決めないといけません。そのデータが十分かどうかは、これまた確率分布で決まります。推定しようとする値の「信頼区間」を決めるのに十分なデータがあるかどうかも確率分布で、となります。これを統計学の循環性という問題です。

分布がガウスだと最初から決め打ちすれば循環論にならずに簡単に性質がわかります。だから、一般的に成り立つ法則を引き合いに出して、ガウス分布を選べば万事うまくいくような気がするわけです。それゆえ、みんなガウス分布を標準にしたがるわけです。しかし、果ての国の分布だとそういうわけにいきません。

フラクタルなランダム性を使うと、黒い白鳥のいくらかは現れる可能性があるのが見え、現れればどういうことになるのか意識ができます。たとえば、ベキ数が3のフラクタルを使えば、1987年の株式の暴落は外れ値でなくなります。黒い白鳥でなく灰色の白鳥になったということです。

マンデルブロのフラクタルで、黒い白鳥の何羽かは説明がつきます。でも全部はつきません。黒い白鳥が現れるのは、ときにランダム性の源を無視してしまうからであり、ときにフラクタルのベキ数を過大に見積もるからだと言いました。灰色の白鳥は、極端な事象の中でもモデル化が可能な種族です。一方、黒い白鳥は未知の未知なのです。

マンデルブロは灰色の白鳥を相手にし、自分が相手にしているのは黒い白鳥だと、タレブは言います。ただし、マンデルブロは自分の黒い白鳥をたくさん飼いならしてくれた、と。

マンデルブロは、自分のやり方を掲げ、 #不確実性 の考える出発点を示し、私たちに希望の光を見せてくれました。