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「命令は非人格化すべし」    ~メアリー フォレット(1868-1933)の経営思想~

命令は、どのような組織においても、上位者から下位者に対して組織をコントロールするために発せられる。メアリー・フォレット氏は、この「命令」がかつては専断的なものであったが、それは時代遅れになりつつあると指摘していた。

もちろん、専断的な命令は今でも珍しいことではない。マネジメントの責任は、正しい命令を発して企業を正しく成長させることであるという認識である。しかしながら、それは多くの問題を生み出す可能性がある。

問題は主として3つある。ひとつは、命令を受ける者(受令者)の貢献を喪失することである。つまり、実際に仕事に従事ししている人たちの協力を求めないため、彼らから学ぶ術を失うということである。二つ目は、当然のことながら、上位者と下位者の間に軋轢を生むということである。さらに3つ目の問題として、従業員が仕事にプライドをもてなくなり結果に対する興味を失うということである。

多くの先進的な企業では、このような問題をどのように避けているのであろうか。フォレットは次のような重要なルールを指摘する。

第1に、命令の非人格化である。命令は、ある人からある人への強制や服従ではなく、あくまで状況の要求であると考える。当事者たちが仕事の状況の検討をすることで、命令を状況に結び付けるのである。

第2に、命令を可能なかぎり仕事のやり方を教えることに替えることである。そして第3に、命令についてその理由を説明することである。

さてこの3つのルールで最も大事なのは言うまでもなく、命令の非人格化であると思う。フォレットの言葉で言うと次のようになる。(以下、引用は「M・P・フォレット 管理の予言者」、太字は筆者)

専断的な命令(command)を出すのではなくて状況の法則を発見することを、私は命令(order)の非人格化と名付けた。私は、これは本当のところは、再人格化(re-personalising)の問題である、と考えるのである。我々人格を有する者(person)は、相互的関係を持つのであるが、われわれはこれを全体的状況において、そしてまた、全体的状況を通して見なければならないのである。われわれは、相互的関係に意味と価値を付与する環境からこれを取り出す限り、いかなる健全な相互的関係も持ちえないのである。人間と状況の切り離しは、大いなる害をなすのである。・・・この環境のなかにこそ、われわれは、いわゆる命令を見出すのである。

現実には、人間と環境が切り離され、上位の人格に付随するような命令が専断的に発せられることのなんと多いことか。それは抑圧以外のなにものでもなく、前述したような3つの問題が生じるのである。

フォレット氏は、最後にもう一つとてもユニークな視点を提供している。それは、「命令の授与について、命令する側、つまり、発令者が訓練される必要がある」ということである。命令への服従は、ある意味で「新しい習慣の獲得」を意味する。彼女は次のように言う。

あなたの下にいる人物がその仕事をなんらかの方法で行うとすれば、彼はなんらかの習慣ないしは態度のワンセットを獲得せねばならない。これについてあなたがなしうるのは次の3項目である。(1)命令の実行を保証すべきであろう態度を可能な時に前もってつくり出すことによって命令のための方法を準備せよ。(2)提案される方法の採用のためになんらかの奨励策を用意せよ(動機づけの全体的問題はここにはじまる)(3)このような方法が習慣となるような機会を与えよ。

つまり、命令する側の義務であり、準備であり、心構えである。これは発令者も受令者も相互的関係の中に存在するというフォレット氏の考えからして、命令は一方通行でなく相互に反応しあうものと捉えれば明らかである。

また、「われわれが、命令への服従はある観点からは習慣の獲得であるとの認識にいたるなら、その時われわれはこの習慣が身につけられるまでは、忍耐せねばならないこともまた認めるにいたるであろう」と忍耐の必要性について述べている。さらに「命令授与は、・・・ほかのあらゆる能力とまったく同じだけの研究と訓練を必要とする」と、すでに経営学における重要性についても言及している。

やや難解であるが、フォレット氏のまとめを引用する。

私はこの講義全体を、命令は仕事から生まれるのであって、仕事は命令からではない、のたった1行で要約することができるのである。命令は、命令に従っている人びとの活動の中にその根をもつものである。服従には能動的な原理が存在する。服従は受動的なものではない。服従は過程における契機だからである。一般的には、非常に精巧であって複雑な過程が進行しているのであるこの過程のある一時点においてわれわれが服従と名付けるものが生じるのである。私は指図(instructions)に対する同意の獲得は利益である、と述べたが、しかし、命令はその正当性を同意からうると考えるのは誤りである。指図は、その正当性(validity)を、そのはるか以前に、発令者と受令者、この両者がともに貢献した全体的過程から獲得するのである。