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【要約】ブラック・スワン プロローグ

「オーストラリアが発見されるまで、旧世界の人たちは白鳥といえばすべて白いものだと信じて疑わなかった」という文章からこのブラック・スワンのお話が始まります。そしてタレブは、この話は、人間が経験や観察から学べることはとても限られていること、それに、人間の知識はとてもろいことを描き出している、と言います。さらに、何千年にもわたって何百万羽も白い白鳥を観察して確認してきた当たり前の話が、たったひとつの観察結果(一羽の黒い白鳥)で完全に覆されてしまった、と。

この本で黒い白鳥(ブラック・スワン)と言ったら次の特徴を備えた事象を示します。

第一に、異常であること。つまり、過去に照らせば、そんなことが起こるかもしれないととはっきり示すものはなにもなく、普通に考えられる範囲の外側にあること。第二に、とても大きな衝撃があること。第三に、異常であるにもかかわらず、私たち人間は、生まれついての性質で、それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまったりっすること。

この3つ子の特徴をまとめてみると、普通は起こらないこと、とても大きな衝撃があること、そして(事前ではなく)事後には予測が可能であること、となります。

そして、タレブはこのような黒い白鳥で、人間の世界のほとんどが説明できる、つまりアイデアや宗教の成功から歴史的な事件の経緯、私たちの生活のいろんな要素まで何でも説明できる、と言っています。

そして、この黒い白鳥の影響はどんどん大きくなっていて、産業革命で加速が始まり、世界がより複雑になる一方、私たちが新聞を読んで調べたり、論じたり、予測したりする普通の出来事は、ますますどうでもよくなってきています。

第一次大戦、ヒトラーの台頭そしてそれに続く戦争、ソヴィエト圏の急激な崩壊、イスラム原理主義の台頭、インターネットの浸透、1987年の市場の暴落、いったい私たちはどれだけ予測できたでしょうか?

それに加えて、流行、アイデア、芸術分野や流派の勃興、そういう一切のものが全部、黒い白鳥の仕業なのです。

この黒い白鳥は、予測が難しく、大きな衝撃を与えるというだけでも十分に不思議な生き物だが、この本が主に扱うのはそう言う点ではない、とタレブは言います。そして、「そういう現象に加えて、私たちは黒い白鳥なんていないフリまでする!・・・社会科学者はほとんどそうだ」と言います。

タレブは明確に「この本が主として扱うのは、人間にはランダム性、特に大きな変動が見えないという問題である」と言います。どうして、人間はどうでもいい細かいことばかり気にして、重要で大きな事件が起こる可能性は気にならないのだろう? どう見ても、大きな事件のほうがとても深刻な影響を及ぼすのに? と言う疑問です。

黒い白鳥の論理では、わかっていることよりわからないことの方がずっと大事だとタレブは言います。黒い白鳥は予期されていないからこそ起こるし、だからこそ大変なのだ、と。

また、タレブは「外れ値を予測できないということは、歴史のたどる道を予測できないということだ」と言います。

にもかかわらず、私たちは歴史の行く末を左右できるかのように振る舞っています。社会保障制度の赤字や石油価格を30年後まで予測するとき、来年の夏にどうなっているかさえ自分たちが予測できないことを忘れています。社会や経済に起こることを読み誤り、そうした予測の誤りが山のように積み重なっているとタレブは言います。

人間の欠陥にはもう一つあり、知っていることばかりに集中しすぎる点がある、とタレブは言います。例として、9.11の出来事から人は何を学んだか考えます。ものごとは予測ができる領域の外側で展開することがあるのを学んだろうか。通念には最初から欠陥が組み込まれていることを学んだろうか。いずれもNOです。

「私たちは学ばない」ということを私たちは学ばない、ということを自然に学ぶことはできません。私たちは法則を学ばないで、事実ばかり学びます。また私たちは抽象的なことをバカにします。

私たちの祖先は1億年以上も脳みそを使わない哺乳類の動物として過ごしてきました。私たちは今でも自分で思っているほど考えていないと言えます。

何かの事象を調べようとするときに、やり方が二つあります。一つは異常なものは切り捨てて「普通」なものに焦点を当てるやり方です。二つ目のやり方では、ある現象を理解しようというなら、まず極端な場合を調べないといけないと考えます。黒い白鳥のように、極端な結果が積み重なっていく場合は特にそうです。

タレブは、普通の場合は気にしない、と言っています。たとえば、犯罪者の危なさを見極めようというとき、普通の日にその人がどうしているか調べて済むだろか、またひどい病気や伝染病のことを頭に入れずに健康なんて考えられるものだろうか、等。実際、普通のことなんてだいたいどうでもいい、と言います。

社会生活は、めったにないが余波は大きいショックやジャンプで、ものごとが進みます。それなのに、その研究は、ほとんどすべて「普通」にばかり焦点を当てています。

#ベル型カーブ を使って推論するやり方なんかは特にそうです。あれではほとんど何もわからいのと同じです。ベル型カーブは大きく外れた値を無視するし、そもそも扱えません。タレブは、このベル型カーブを、GIF(Great Intellectual Fraud) =壮大な知的サギ と呼びます。

タレブは、人間には #プラトン性 と呼んでいる傾向があり、それは純粋で扱いやすい「型」(エイドス)にばかり焦点を当てる傾向だと言います。つまり、人間は、ごちゃごちゃして扱いにくい格好のよくない型よりも、見目麗しい型のほうをありがたがると言うことです。プラトン性のせいで、人間は自分がわかっている以上のことを自分がわかっていると思い込みます。

この本の敵役は、ベル型カーブと自分に嘘をつく統計屋だけではなく、#プラトン化 して、自分自身をだますために理屈をこねる学者だけでもない、とタレブは言います。そして、自分が納得できることだけに「集中する」ように私たちを追い立てるもの、それが攻撃対象である、と。

まとめると、この本では以下のような点が論じられます。

私たちがものごとを考える習慣にたてつき、私たちの世界は極端なこと、わからないこと、そしてありえないこと(今わかっていることによればありえない)でいっぱいだと主張します。それなのに、私たちは時候の挨拶みたいなどうでもいいことばかりこだわり、わかっていることや何度も起こることにばかり目を向けていることを示します。

私たちは、極端な出来事から手をつけるべきです。極端なことを例外として絨毯の下に隠しているのは間違いです。

さらに、私たちは進歩や成長をしたからこそ、将来はいっそう予測しにくくなっています。そして人間の性質や社会「科学」のせいで、私たちにはそれが見えなくなっています。