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第4回 「ピースフルな心を保つためにできる、たったひとつのこと」

Interview /鈴木泰堂×デポルターレクラブ竹下雄真(全4回)

Deportare Club
2020.1.31

鈴木泰堂(すずきたいどう) プロフィール
宗教法人示現寺代表役員/法華山示現寺住職/僧侶。1975年4月20日神奈川県出身。立正大学仏教学部仏教学科卒業。1987年、在家から出家し、命がけで仏道に邁進する父に憧れて出家し弟子となる。1998年、日蓮宗僧籍取得。2008年、先代住職遷化により住職に就任。以降法務を熟しながら、年間400人以上の相談者の「心の悩み」やスポーツ選手のメンタルをサポート。2014年、瞑想と写経を取り入れた「メンタルファシリテーション」を考案し、東京都渋谷区のコートヤードHIROOにて毎月実施。その他、各種団体主催のセミナー講師など活躍の場を拡げている。2019年12月、清原和博氏との対談『魂問答』を発売。

宗教の種類は違っても、登る山はひとつ

竹下雄真(以下:竹下)
いつも思うんですけど、仏教と他の宗教の違いって、一体どこにあると思いますか。

鈴木泰堂(以下:泰堂)
僕個人の考えですけど、宗教って、上までいけばどれも同じだと思うんですよ。
世界規模で宗教人口の割合を見てみれば、仏教って意外と少なくて、ほとんどがキリスト教とイスラム教です。その二つは絶対数が多いから、地域によっていろいろな考えが生まれるのも、当然かもしれません。
でも仏教はそれらに比べて信者の人口が少なく、特に、日本だけで考えればたった1億2千万人の日本人しかいないのに、そのなかでも「うちは浄土真宗だから」とか「曹洞宗だから」とか、互いに宗派の違いばかり強調しているような感じがします。
近年特に、仏教が本来持っている許容量の広さが失われて、排他的になっているんじゃないかと思うんです。
でもどの宗派も結局のところ、目指すものは一緒であり、もっといえば仏教だけでなく、キリスト教もイスラム教も、それぞれの教えを突き詰めて考えれば、行き着くところは一緒だと思うんですよ。
たとえていうなら、つかんだ縄の違いというか。

竹下:
宗教の違いはあっても、どれもが最終的に行き着くところは一緒。それは一体、「どこ」なんですか?

泰堂:
言ってみれば、心の安穏や安らぎ、英語でいうならfree。
すべての人間には死が訪れるけれど、それは人間を「解放」するものでもあり、つまり、人間は死によってfreeになるということ。
freeというと、ちょっとヒッピーっぽいイメージがあるけれど、苦しみから解放されるということもfreeですから。
キリスト教なら、神の御膝に生まれて安楽を得る。イスラム教ならアッラーの教えに従って徳を積む。
仏教なら安楽の境地へ行く。言葉は違っても、それらは結局、同じことなんだと思います。

竹下:
さっき、「つかんだ縄の違い」とおっしゃいましたが、それはどういうことですか。

泰堂:
たとえば、富士山に登るとしますよね。そのとき、静岡側から登るか、それとも山梨側から登るか、まず登山口を決めるでしょう。
でも登山口が違っても、結局目指すところは一緒で、富士山の山頂です。
縄を手繰りながら山道を一歩一歩登っていけば、どこの登山口から出発しても、いずれは富士山の山頂にたどり着くでしょう。
僕は、宗教もこれと同じだと思っています。
もちろん、登り口の違いによって、傾斜の角度や、道の険しさに違いはあるでしょう。でも、どの登山口を選んだとしても、結局、自分が握っている綱を信じて、コツコツと登っていくだけ。
隣で登っている人を批判したり、気にしたりする必要もない。結局、みんなが行き着くところは一緒なのです。

竹下:
それが、「よく生きる」ということなのでしょうか。
でも本来、みんながそうやって自分の信念を持ち、一歩一歩登っていれば衝突は起こらないはずなのに、世界ではどうして争いが起こるのでしょうか。

泰堂:
人間が見ている「先」は一緒でも、もっと視野をあしもとに向ければ、どうしても法の解釈の違いがあからさまになってしまいます。
たとえば、「日蓮宗は攻撃的だ」というイメージがつきまとうのも、そのためですね。では、日蓮聖人が本当に攻撃的だったかというと、確かに、そう見える一面もあったかもしれません。
でもそれは態度の違いが大きく関係していて、たとえば、「みなさん、聴いてください!!」と、声高に張り上げていうときと、「みなさん、ちょっと聴いてもらえますか」と優しく語りかけるのとでは、たとえ同じことを言おうとしていても、聞き手に与える印象が違いますよね。
結局、そうした印象の違いが宗教のイメージを作ってしまったと思うんです。

竹下:
その言葉の真意をはかることなく、ただイメージだけで、宗教間の違いが強調され、区別が作られたということですね。

泰堂:
そうです。
確かに世界ではイスラム教徒によるテロが問題になっていますが、イスラム教に、あのようなテロを正当化する教えは決して存在しないと思うんです。
十字軍とか、比叡山の僧兵とか、歴史のなかでも宗教に起因した争いはたくさん起こっているけれど、そういうものも政治情勢や利害関係など、時代背景を考慮すれば、もっと見方が変わって来るんじゃないかと思います。
結局、どの宗教も目指すところは同じで、いかにして自分のなかの悪い部分、すなわち、ねたみや恨み、人のせいにする性格など汚い部分を見つめて、それらを少なくするか。それはどの教えにも書かれていますし、どこにも戦いや争いを認めることは書いていない。
だけど、そこに政治が絡むと問題は複雑になって、「石油が埋まっているから、この領土が欲しい」とかなってしまう。でもその土地には昔から人が住んでいて、古来の信仰もある。こうして迫害や宗教戦争などが起きてしまうんですね。
スリランカでもたびたび争いが起きていますが、今回、実際に行かれて怖い思いをしましたか?

竹下:
まったく。まあ、僕はアーユルヴェーダの施設から一歩も外へ出なくて、完全に俗世から離れた生活をしていたので。
まさに聖地にいたような感じでした。
体にいいものを食べ、トリートメントを受け、ストレスなくゆったり過ごす。健康的な生活ってこういうことかって思いました。

強者が弱者を攻撃し、弱者がさらなる弱者を生み出す

泰堂:
人間はよく糸電話に例えられます。ピンと張り詰めた糸は簡単に切れてしまうから、ときどき緩めてあげることも大事なんですよね。
車のハンドルも、遊びがなかったらまっすぐ走ることができない。
その遊びは人間の心にも必要で、心に余裕がなければどんどん焦りが大きくなってイライラしてしまうでしょう。
そして、今度はそのイライラが自分より弱いものへ向けられ、さらに弱いものへって、こうやって最終的に弱者である子ども達へ矛先が向けられてしまうんですよね。

竹下:
児童虐待や、子ども達のいじめ問題など、原因をたどると、結局は大人社会に理由があるということですね。

泰堂:
兄弟間でもそうですよね。兄の絶対権力で弟がねじ伏せられる、ということも聞きますし、歴史的にもそうしたことは実際にありました。
大人になって力がつけば、関係性が逆転することもあるかもしれないけれど、大抵の場合、力が強いものが弱いものを思い通りにするというのが人間の本能なのかもしれません。
そうしたことを、大人が子どもに対して行えば、今度は子どもがさらに弱い子ども相手に力関係を作ろうとする。
確かに、昔も子ども同士のけんかやいじめはありましたけれど、今のように陰惨なものではなかったように思いますね。

竹下:
焦りやイライラを抱えている現代人は、非常に多いと思います。どうしたら、そういう気持ちを消して、気持ちよく生きることができるのでしょうか。

泰堂:
仏教的に考えれば、煩悩は炎に例えられることが多いんですね。僕も、イライラしているときって、心が火事になっているのと同じなんじゃないかって思います。
火事のとき、自分は水をかけて鎮火しようとしているつもりでも、焦っていれば、もしかしたら水ではなくて油をかけてしまっていることに、気づかないかもしれない。
だから、余計にイライラの炎が燃え上がるのかもしれません。
昔、父に「そういうときはどうしたらいいのか」って尋ねたことがあるんですよ。そうしたら父は、「ポストが赤いのも、電柱が高いのも、すべて自分のせいだと思いなさい」と言ったんです。

竹下:
禅問答みたいで、面白いですね。その真意はいったい、どういうことでしょうか。

泰堂:
結局、謙虚になれっていうことなんですよね。
当然、ポストが赤いのや電柱が高いのは自分のせいではないけれど、それらも全部自分のせいだと思うことで謙虚さを取り戻しなさい、ということなんです。
「どれも俺のせいじゃないけれど、まあ、そういうなら自分のせいだって思ってみよう」と考えてみると、少し落ち着きを取り戻し、心に隙間が生まれます。そうすると、ハッと気づくわけです、自分がイライラしていることに。
つまり、心の隙間がイライラを鎮静されてくれるんですね。
さっき、ニュートラルのお話をしましたが、これもその一種なんじゃないかと思うんです。つまり、心に隙間を作ることで心のギアが切り替わる。こうして平静さを取り戻すことができるのだと思うんですよ。
竹下さんはよくお墓詣りをされるとおっしゃいましたが、それも同じですね。
考え方を切り替えることで心に隙間を作ったり、お墓詣りをして自分の心と向き合う時間を作ったり。そうすることで心がニュートラルになり、イライラが消え、健康を取り戻す。
自分をニュートラルに切り替える方法を見つけることが、健康的に生きるために役立つんじゃないかなと思います。

竹下:
泰堂さんの今後の夢はなんですか? 目標とか。

泰堂:
僕が坊主をやっていてよかったと思うのは、「あなたがいてくれてよかった」とか「すごく支えになりました」とか、言っていただくとき。
さっきお話ししたように、坊主みたいに人の心を支える存在は、やがて不要になるものなんです。その人が元気になり、自分らしさを取り戻したら、もう支えは要らなくなる。
僕はそれでもいいと思っていて、むしろ、そうやって僕が不要になる人がひとりでも多くなってくれるのが僕の幸せですし、同時に、「あのとき、あなたがいてくれたらよかったのに」と思う人が一人でも少なくなってくれることが僕の夢です。
だから、田舎でくすぶった坊主をやっているだけでなく(笑)、もっとご縁を広げるような活動をしていきたいですね。

竹下:
今回、清原さんと一緒に出された書籍『魂問答』も反響が大きいですし、ご縁はますます広がるでしょうね。

泰堂:
これもみなさんが与えてくださったご縁だと感謝して、さらに広いご縁へつなげていきたいですね。
そして、「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらえるような坊主になりたい。
僕が、というよりも、そもそも僕は仏様の教えをみなさんにご紹介しているだけですが、たくさんのご縁とご縁をつなげるひとつの点になりたいですね。それがやがて線になれば、と思います。

竹下:
そうですね。僕も健康的で幸福な社会づくりの一端を担えるよう、頑張ります。
今回はいいご縁をありがとうございました。

(おわります。ご愛読ありがとうございました!)

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CONTENTS
第1章 「超人」に憧れる現代人
第2章 超人化計画1 運動でミトコンドリアの量を増やす
第3章 超人化計画2 解毒でミトコンドリアの質を上げる
第4章 超人化計画3 食事でミトコンドリアの質を強化する
第5章 Q&A超人をめざす人のために
対談 超人たちをつくってきた二人清宮克幸×竹下雄真

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