やってもやんなくても同じなら人間はやらないけどりあむならやるのではないか 【見習いりあむP File1】

 私はアルコールに弱い。ほろよいを一缶空けるだけで完全に酔える。そんな人間は往々にして飲み会でウーロン茶しか飲んでいなくても酔っぱらっていたりする。雰囲気酔いというやつだ。こうした方がその場が楽しくなるからやっている。意識的に酔っている。さもなきゃ座敷から弾き出されるから。
 親しい友人たちと飲んでいる時はいい。ジンジャーエールにハイボールのふりをさせずに済む。私のテンションが高かろうが低かろうがその場の空気に影響はないし、バンクシーの絵みたいに人知れず壁に寄りかかって寝ていても何もいわれない。

 つまり何がいいたいかというと、私のように「人間関係とはポイント制だ」と思っている人間にとっては、親しい友人たちとの会食は「休憩時間」で、ほかの飲み会は「人間関係ポイントセール」だということ。
 だけどりあむちゃんはそう思ってないらしい。りあむちゃんは基本的に周囲の人間に対して「いい顔」をしない。日本人が狭い村社会を維持し続けるにあたって獲得した「ご機嫌伺い」や「世間体の護持」をしない。ただしこれは夢見りあむというキャラクターに与えられたフィクション側の物語によって付け加えられた「吹っ切れた夢見りあむ」という構造に基づいた分析だから(つまりSSR特訓後夢見りあむ)、それ以前のフィクション・ノンフィクションを問わないコンテクストを理解しなければならない。今後の課題ですね。

 じゃあ本当に彼女は吹っ切れているのか、そもそもこのフィクションの物語にノンフィクションの物語が影響を与えていることの特異性、我々三次元の住人が二次元の人間と時間軸を共有しているというメタ的エンターテイメントが参加型フィクションへのキラーコンテンツになりうるんじゃないかとかいうオタク文化の終焉を告げるラッパみたいな話とかいろいろ思いつくことはあるんですが今日はこの辺にしておきます。

P.S. 雑記のような形でこれからも上げていきますが不定期です。

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