夢見りあむは「総選挙」のいらないアイドルになった

りあむについていくつかのNoteと一つの小説を書いた
新人りあむPが
大阪公演の夢見りあむを見て
プロデュースの意味を問う文章

■夢見りあむについて、私の従来の解釈

そもそも、私が夢見りあむに「関わるしかない」と決心した理由を知らないとこの話を読んでも理解できないと思う。

読むのがめんどくさい人の為に三行にまとめた。

オタクの「炎上に対する責任感の無さ」に怒った
デレマスの「物語」を知らなくても、りあむの物語に感動した
りあむの物語を世間へ届けなければならない

というのが私の「デピクター(P)」を名乗ったきっかけであり、責任感を持って、一つの集大成として1/8に一つのSSをTwitter,Pixivへ投稿した。(現状、Twitterに投稿したツイートは確認できない状態だ)

私はGlowingRock!一日目の前までは、「夢見りあむとは常にトップ層にいないとキャラクター性が保てない存在である」と考えていた。
常に名前が忘れられることのないように、あらゆるコミュに顔を出し、曲をもらい、時にはユーザー発信でバズの震源地になることでしか、「夢見りあむ」が生きていく方法はない。なぜなら、夢見りあむはそのまま爆弾であり、声を勝ち取った時点で1年という長さを持った導火線に火がつけられた状態だからだ。
私は、デレマスというコンテンツ自体が、総選挙を軸に回っていることを教えてもらった。総選挙で新しく発掘されたアイドルが、その1年ハイバリュ-ターゲットとして扱われ、運営の手によって解像度を大きく上げてもらえる。
逆にいえば、この1年で居場所を確立できなかったアイドルは、落ちるしかない。そして特に「夢見りあむ」は、落ちっぷりが凄まじいことになるだろうと予想していた。
理由を語る前に、名古屋公演を見たとき私が、彼女をどう評価したか見てほしい。

あれは日本ネット文化の天敵だ。負け知らずのオタク達へ届いた凶悪な挑戦状だ。参加型フィクションに真っ向から挑戦する時代の寵児だ。

 そして次に、LIVE Parade出演時の評価。

夢見りあむが挫折を経験したがるだろうか。リスクのある一歩を踏み出せず、言い訳を並べ立てて部屋にこもるのが夢見りあむの性格ではないか。

この圧倒的孤独感を理解いただけるだろうか。彼女には相互扶助の精神などなく、同時にりあむPにもその精神はない。りあむPの多くは、「夢見りあむの物語」を求めているのであって「シンデレラガールズの物語」を求めていない。


私はそれを危惧した。

このNoteにおいても、私は最後にこう書いている。

このまま夢見りあむの生まれ持った才能がシンデレラガールズを飲み込んでいくのか、それとも更なる成長を見せてくれるのか、期待している。

夢見りあむというキャラクターデレマスの持つ「人生とは旅であり、成長だ」という文脈は致命的にマッチしない。

彼女の強みは「変わらないこと」であり、「自分がブレないこと」である。他の多くのアイドルにとって、「自分がブレないこと」「成長し変化すること」と矛盾しないが、夢見りあむは違う。

ステージ上のぼくは永遠にぼくのままでいるつもりだけど、
会場のみんなの心の中で、今日の思い出のぼくがいて……
それが、アイドルにみえてたら……いいなあ。

         [夢見りあむは救われたい]夢見りあむの台詞より引用

だからこそ夢見りあむには、そのままの自分が受け入れられ続けている状況というものが非常に大事になってくる。このコンテンツにおいて、状況とは総選挙の順位だ。

つまり私は、総選挙で入賞し続けることが、夢見りあむの「不変性」を認める最良で唯一の手段だと考えていた。

■「次は勝てない」と知った夜

私の得意なことは短い小説を書くことだ。1/8に投稿した小説を書くにあたって、私にあった感情はとてつもなく負のものであった。なぜならば、その日私はデレマスをよく知る人間との長い会話の末に、「夢見りあむはなぜ3位になったのか」ということに答えが出せなかったからだ。初参加ゆえ票田もなく、しかし政治と違い浮動票が少ないこのコンテンツにおいて、「悪ふざけ」以上の答えを見つけられなかった。

だからあの文章を書いた。勝てないなら、私の世界で夢見りあむを生かし続けようと思った。運営の創作地盤から逃げきれば夢見りあむ解釈の一つとして確立できると思った。
つまり、総選挙から逃げようと思ったのだ。このコンテンツの最高に歪んでいる部分から逃げ出すことで、純粋なキャラクターとしての物語を展開することが可能になると思った。
しかし、投稿し、沈黙の中で、読んでくださったりあむPや他アイドルの担当の方の感想を読むたびに私は大きな誤解の中にいることに気づいた。

「りあむの成長は、望まれている」

これは勝てない、と思った。
りあむに「変わって欲しくない」と願うのは私のエゴに過ぎないことが図らずも証明されてしまった。読者は、夢見りあむが置かれている状況に満足していた。私のように焦っている人間は一人もいなかった。

■私が苦しまなければいけなかった理由と「Glowing Rock!」

つまり、私は次の総選挙で入賞することを夢見りあむプロデュースにおける至上命題と設定したうえで、なおかつその夢を諦めた人間だ。二次創作における夢見りあむというキャラクターの変容や、夢見りあむと高垣楓の類まれな相性など、メモには書きかけのNoteが色々ある。だが、これ以上、読者の夢見りあむに対する解像度を上げても、結果に結びつかないことがわかってしまった以上、書きかけのNoteを完成させる気は全く起こらなかった。

私の「GlowingRock!」は、一日目がライブビューイング、二日目が現地だった。現地が当たったのは幸運なことで大いに喜んだが、正直なことを言えば私の心情は「輝子ちゃんの生バン紅ワンチャンあるのマ?」であった。


つまり私のりあむに対する心が動いたのは一日目のライブビューイングからである。

前項で書いたように、私は「りあむに対して働きかけを行わなければならない」という強迫観念に曝されていた世界は敵であり、私の表現でりあむの不変性の重要度を説くことが使命と考えていた。

だが、世界は意外とあっけなかった。星希成奏さん演じる夢見りあむは悪意ではなく、万雷の拍手で迎え入れられた。UOは煽りの炎からりあむの個人色へと認識が変わっていた。勿論100%の善意ではないだろう。若干の「いじってやろう」という感情が見えるのは確かだ。かつての私であれば、そのわずかな悪意に復讐するケツイがあった。
だが、夢見りあむには星希成奏がいる。彼女の夢見りあむに対する解像度の高さは前々から話題にはなっていたが、二日目、私はそれを目の当たりにした。

「夢見りあむ」の声帯としてこのような大舞台に立たせて頂けることを幸せに思います。今日の私の目標は、皆さんがLIVE終わりに「夢見りあむに会ってきた。」「夢見りあむおった。」「LIVE楽しかった」と言い、「夢見りあむすこ。」になってくださることです。私をりあむの声帯にキャスティングして下さった意義を果たして、Pサマと共にこの最高のステージを、最高に楽しみたいと思います‼今日は来てくれてありがとう!(原文ママ)
             星希成奏 Cygamesフラワースタンド色紙より
「りあむってアイドルになりたいけどアイドルになりたくない子」
    星希成奏 「GlowingRock!」二日目挨拶より(若干の文章揺れあり)

私はこの三つを一日で認識した。最後の挨拶を聞いた時には、私の苦悩は大阪ガスの炎に焼かれて消えていた。


夢見りあむは完成した。
私は確信した。
私がやりたかったことを、
星希成奏さんは二日でやってのけた。

凄い。天才。遠く及ばない。任せたい。見たい。
私は星希成奏さんが作る夢見りあむが見たい。
心からそう思った。

■プロデュースとは誰が為なりや

プロデュースとは何の為にするのか。
総選挙で良い結果を得る為である。
良い結果は何の為に得るのか。
己の推すアイドルが、さらなる成長を遂げる機会を得る為である。それはコミュであり曲であり運営の起こす全てのアクションに推しが絡む可能性を上げる唯一の手段だから。

確かに私も夢見りあむの声や歌をもっと聴きたいし、感情豊かなコミュも見たい。だが、それはもう夢見りあむがもう一度3位を取らないと叶えられないものではないことに気づいた。
夢見りあむはこの先どんなことが起きようとも、名前を忘れられることはないだろう。夢見りあむは既に、成長をコンテンツとせず、生き様をコンテンツとする立場にいる。この二つの移行があまりにも早すぎるのが、夢見りあむの「特異性」だ。

この記事でこんなことを書いた。

我々は、もっとマクロな視点で夢見りあむと向き合わなければならない。後ろに映る「雑な」夢見りあむには無限の可能性を感じる。ここから年単位での成長を見守ることができる上質なコンテンツの発生が見込める。

この時、既に夢見りあむは「生き様」をコンテンツとしていたのだ。後ろで変顔をしてもなお己を貫き通す姿勢こそが夢見りあむの真骨頂であり、私はそれに気づかないことでズレを感じて憔悴したのだ。そして総選挙の熱に当てられていない今だから言える。

夢見りあむに総選挙は必要ない。



P.S.このあとのデレラジで、これらは全部ひっくり返る可能性があります(2020/2/17/19:30)

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