夢見りあむが大阪公演に出演決定した瞬間のオレンジを忘れてたまるかと思ってしまったので。
名古屋ドームにて
夢見りあむミリしら勢が
りあむPになるまでの
感情をトラッキングした文章
私は三日前まで普通の人間だった。
オタク、というマイノリティから脱却しかけている不安定な椅子にどっぷり腰をおろしたジャバザハットであることを除けば、至って平均的で突出した何かを誇ることのない、今年で21になる最新版オタクだった。
アイマスというコンテンツに対しては、特にそうだった。デレステやミリシタやシャニマスをひょいひょいとつまみ食いしては、自らの飽きに合わせてジャンル間を飛び回るジャージャービンクスだった。
だってみんなかわいいんだもん。
みんなめっちゃいい子じゃん!誰かを選ぶなんてできない!
というのが私の持論だった。ファンとしては間違った立ち位置ではなかったと今でも思っている。アイマスというコンテンツはそれを許さないが許されるつもりもない。デレマスのキャラはみんな魅力的だ。全員小鉢で出してくれたらさぞかし美味いだろう。と、思っていた。
友人がライブに誘ってくれた。にわかの私を見かねたのかなんなのかわからんが今となってはそんなことどうでもいいのだ。でもとにかく感謝している。ありがとう。また異種格闘技戦のような話し合いをしよう。
話がそれたが、おかげで私は夢見りあむ大阪公演参戦決定の瞬間に立ち会えた数少ないデレマス素人になった。そんな人間があの瞬間五感で実感したことを書く。これから「偏食家」と書いて「プロデューサー」と読む皆さんが忘れてしまっている景色を御覧に入れよう。
大阪公演追加出演決定の文字と共に夢見りあむと佐城雪美の肖像が映し出された。まずとにかくおめでたいことなんだろうということはわかった。というかキャラクターの肖像が大画面に映し出されたらそれはもう喜ばしいことだ。それはもう推しだろうが推しじゃなかろうが「おめでとう」と万雷の拍手で迎えるべきだ。それがオタクってものだ。私も素人ながら吐き出せる限りの声で「おめでとう」と言っていた。
草原に火が放たれた。ちひろさんを称えるための緑は、一転してりあむへの着火剤になった。あの忌まわしいUOのクラック音とともに視界がオレンジに染まる。キャラの喜ばしい知らせに対する反応として当然の歓声がナニカに感染して笑い声が混じるようになる。そしてTLを更新するような気軽さで、会場は次第に次の話題へ移動していった。
私は夢見りあむがどう見られているか知らなかったわけじゃない。ファンの目線で見ていても非常にショッキングな存在であることはよくわかった。あれは日本ネット文化の天敵だ。負け知らずのオタク達へ届いた凶悪な挑戦状だ。参加型フィクションに真っ向から挑戦する時代の寵児だ。
だからどうした。
ここはライブ会場だ。ツイッターでポチポチ「納税」とか言ってガチャ報告しているのとは訳が違うんだ。お前ら恥ずかしくないのか。そんなんで自分の「担当」とやらに顔向けできんのか。
私はアイドルマスターを知らない。
私は夢見りあむのコンテクストを知らない。
私はデレマスが大事にしてきた(らしい)「物語」を知らない。
そんな人間が夢見りあむのことを憐れに思ってしまうようなことを無自覚のうちにやるのだ。プロデューサーという人間は!
しかし私は多くのプロデューサーが唇を噛んで我慢していたことを無視したくない。彼/彼女が自らの偏食により複雑な感情を抱くことを咎めたくない。それは、りあむのノンフィクションな物語が「その人の中では」担当キャラクターの物語を上回ることができなかったということだ。つまりりあむが悪い。
私はこの苦しみから解放されたい。プロデューサーという人間のエゴに辟易しつつ、またそれを認めたい。
私がりあむのPになるしかない。
名前と顔しか知らないキャラクターだが、私が表現しなければ私が死んでしまう。たかが空想上のキャラクターに自分の生死がかかっている。私はこれからこの文章を固定ツイートとしたP垢をツイッターに作るつもりである。論文を読むような勢いで夢見りあむの理解に努めていくだろう。どうか引かないでほしい。私が懸かっている。
この文章の雛形を考えている時、私を誘った友人が言った。
「お前は自分の好きなシチュエーションのファンでしかない。お前はただのストーリーテラーに過ぎない。アイドルに寄り添うつもりのない人間が、Pになれるとは思えない」
なるほど私は私に酔っているのかもしれない。プロデューサーという人間を悪に仕立てあげ、自らを夢見りあむに嵌らせようと自己暗示をかけるためにこの文章を書いているのかもしれない。
今の私はそれに反論することができない。その答えを持っているのは「夢見りあむをすこれた未来」の私に他ならない。私はこの三日間ずっと迷っている。私は夢見りあむを好きになれるのか。「キャラが立っていていいね」以上の感情は生まれた。彼女には現在進行形でノンフィクションの物語が存在する。もし私がストーリーテラーなのであれば、夢見りあむ解釈で最大手になった時、それは成るのだろう。
FU BANDAINAMCO.
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