「りあむ」はまだまだチャチャチャを踊る

新人りあむPが
新人ならではの遠い視点で
りあむの持続性について語る文章

 LIVEParadeに夢見りあむが出演した。相も変わらず夢見りあむは自己肯定感が低く、それでいて自己承認欲求が高かった。そんな自らの属性をいかんなく発揮してストーリーの中心に居座り、見事にあらゆるPに対して「夢見りあむ取扱説明書」を手渡すことに成功した。

 りあむとは我々Pに非常に近しい属性を持ったキャラクターだ。ドルオタであり、自分に自信がない。自分を自分で下げることで自分を守ろうとする。つまり運営側の視点に立って見る「夢見りあむ」とは、ユーザーに対して共感を与えてストーリーへの没入感を深めるための構造を持っている。
 いわば「オタクの代弁者」だ。実際オタクであるりあむに代弁者とつけるのは矛盾があるやもしれないが、文字通り次元が違うのだからこれは代弁と言えるだろう。
 では運営はユーザーのアバターとなりえる夢見りあむを嘲笑うかのようなストーリーを描くだろうか。
 答えは否だ。断じて否だ。もし夢見りあむに心無い言葉を浴びせるキャラクターがいるとすれば、それはフィクションの中で紡がれた夢見りあむが元来持つ性格によるものだ。そしてもし読者の中にこの「心無いキャラクター」を加蓮のことだと思った人がいたならそれは大きな誤解だと断言する
 きっと貴方は幼少期から苦しい思いをしてきたのだろう。常に何かに追いつめられて、何かに迫害される人生だったのではないか。周囲には敵しかいない状況で、強い感情の言葉をぶつけられてきたのではないか。
 私は貴方に同情する。貴方は「やさしいせかい」に居場所がなかった。貴方は自分の感情が尊重されないことにアレルギーのように反応してしまうことだろう。夢見りあむがロッカーに隠れてしまうことに対して限りなく共感を得たことだろう。かけられた言葉にさぞ辛い思いをしただろう。
 加蓮に悪意がないことも、そういう性格であることも、夢見りあむの人となりを加蓮が知らないという事実も、りあむに感情移入していては理解できないだろう。本当に同情する

 「きちんと挫折を描写すればより良いコミュになった」と運営を批判する者もいるだろう。私は君には同情しない。君は夢見りあむの本質を全く理解していない。君は自分の好きなキャラクターが貶められていることに憤りを覚えているだけで、それは君の自己愛に過ぎないのだから
 夢見りあむが挫折を経験したがるだろうか。リスクのある一歩を踏み出せず、言い訳を並べ立てて部屋にこもるのが夢見りあむの性格ではないか。そんな彼女はきちんとコミュの中で明言している。


『みんなのパフォーマンスとぼくの付け焼刃なやつ比べられてもやむよ!なんだこれ八方塞がりか!?』

 ここでのりあむは、八方塞がりなことにツッコミを入れているのではない。「八方塞がりだ」と自分に言い聞かせることで逃げ道の確保をしようとしているのだ。
「偉大な先輩と比べられたくない。自分なんかが観客に認められる訳がない。だから努力はしなくていい
 このような理論で夢見りあむは常に逃げてきたのだ。努力から。苦しみから。人の目から。私は、今回のコミュについて、非常に夢見りあむの原点に基づいた作品だと絶賛する。
 

 最後に、我々は、もっとマクロな視点で夢見りあむと向き合わなければならない。後ろに映る「雑な」夢見りあむには無限の可能性を感じる。ここから年単位での成長を見守ることができる上質なコンテンツの発生が見込める。このまま夢見りあむの生まれ持った才能がシンデレラガールズを飲み込んでいくのか、それとも更なる成長を見せてくれるのか、期待している
FU BANDAINAMCO.


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