空っぽの人生に初めて意味を与えてくれた物は神聖視したくなるという話

 この時間にNoteを書き始めようと思ったら「こんばんは。お体に気を付けてくださいね」と出てきて心底苛ついている。ちょっと煙草を一本吸わせてください。

 よし、始めます。

 りあむちゃんみたいに何かに固執している人間のことを、人はオタクと呼ぶ。自分の人生の軸が自分の肉体の範疇に収まっていないことを、自立した大人は「きた道」としてだいたいは馬鹿にして生きている。
 9割の「自立した大人」が1割の「自立していないが頭だけはとにかくいい大人」の手足になることで世界は回っているのだから、オタクが馬鹿にされるのはもう仕方のないことだ。消費者に徹する人間ほど社会構造の発展にブレーキをかけるファクターもない。
  りあむちゃんも同じだ。自らの軸とするモノは、日本型社会主義が作り出したエンターテイメントの最終形態「アイドル」だ。それも多様化した中で最も醜く歪んだ末に何かを見つけた「地下アイドル」という種類だ。サブカルチャーであることに誇りを持っていることに定評のある界隈だ。言い過ぎた。
 そんな土壌で育てば、アイドルはその名の通り「偶像」だし、信仰の対象らしくエーテリアルを保てない人間に対して異端と糾弾したくなるだろう。自らは神の右に座するには余りある汚穢を身に宿すが故に信仰にすがったはずなのに、神はその身をご覧になって自分を選ばれたのだ。私なら発狂する。実際りあむちゃんも発狂しかけているのだ。

 だがりあむちゃんは救われる。りあむちゃんはPでもなく友情でもなく、救いを自らのポテンシャルに求めることによって救われる。そしてなんという慧眼か、その容姿こそが彼女を救うことになる。「物販を頑張るアイドル」より「100倍かわいい」りあむちゃんは、ライブハウスに籠っている間に社会が変わり始めていることに気づいていない。坂上忍も有吉弘行も飽きられた。ただ世の中を腐しているだけでは、個人が世間の味方をするようになってしまうまでに「個」があいまいになっている。誰もが拠り所を探している。
 そんな鬱屈とした社会の中でいち早く気づいたのが夢見りあむその人ではないか。大きな社会の構造などわからなくても、「ボクと隣とそれ以外」には一等敏感な彼女なら感覚的にわかったはずだ。「自分は目立たなければ生きていくことができない。だって自分は自分だけで立つことができない。そういう星の下に生まれてしまった。ならもうやるしかない。この道がアイドルかアイドルじゃないか決めるのは自分自身じゃない」と。

 そしてこれをアイドルかどうか判定するのは、こんなのを書いてわかったふりをしている私と、そんな奴の文章を今読み終わった貴方に他ならない。


P.S.ナンバリングはダサいので止めます。次はちゃんと3Dモデルの不思議について書きます。

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