死について

中学生のころ、同級生の母親が亡くなった。
当時まだ14、15くらいのときだったので詳しい年齢はしらないが、まだ若い死だったと思う。
同級生は一週間忌引で学校をやすみ、その後普通に登校していた。
同級生といってもクラスが同じなだけでそんなに仲はよくなかったしたまに席が近くなったりしたときや、移動教室の際にしゃべるそんな程度の仲だったので結局は母親に触れることは一度もなかった。
何を話せばいいかもわからないし、それで良かったのだとおもう。その同級生とはもう縁も切れどうしているかわからない。みんなの中では「若くして母親を亡くしたかわいそうな片親の子供」その印象が残っただけだった。

今思えば同級生はその後の生活などすごく大変だったろう。父親も同級生もどんなに悲しんだだろう。(ここでは家庭の事情は知らないためそういう仮定とする)
もし仮に私も当時14、15歳のときに母親を亡くしたらどんなに辛かっただろうな。と思う。
特にうちは家庭環境が少し複雑だったためにちょっと想像がつきにくいが、頼りにしていた母親がいなかったら悲しむ以前にとても困っただろうことは容易に想像できる。

ひどいように思われそうだが、そういうときに死ぬのがベストなんではないだろうか。とわたしは おもうのです。

人に悲しまれ、しんでいく、それこそが行きてきた価値であり爪痕であると。
だって考えても見てください。
事故や病気で延命を重ね、疲れ切ってそれでも生きているから死なすわけもいかず何十年も介護をする。
病院が面倒見てれればかなりいい方、自宅介護も当たり前、痴呆だとまだ元気だったりするのでなお悪し。
それでも生きたい、と言われれば周りは倒れても介護をしなくちゃならない。
(早く死んでくれないかな)
だれもがおもうと思う。私は実際そうでした。

死にどき、って実際あるんだとそう思いたい。
わたしはもう死時をのがしてしまったと、そう思います。

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