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散文日誌「種々雑多」2021/6/18

以前の日誌で、科学的な事を書いた。
できれば科学的な話を書いて飯を食いたいと思っていたからだ。

全ての道がローマに通じるなら、全ての学問も人間とは何ぞやに繋がってもいいはずだと常々思っている。

学校教育が、総合的学習を取り入れよう、自ら考える力をつけようというのは、そのような側面もあると私は思っている。

結果、秀でるものは自ら学習するが故に力を伸ばし、そうで無いものは、先生から与えられた知識をノートに書き写す。書き写しただけでは、当然身につかないので、デジタル機器を使って復習をする。

発達特性のあるこどもたちには、デジタル機器は救いの神である。特に、LD(学習障害)のある子達には。読み書き算盤(算数・数学)が苦手な子はタブレット端末でテストを受けることもある。

かつてはそんなものなどなかったから、分かってても書けない、早く計算ができない子たちは、当然低い点数を取ってしまって親や教師に怒られる羽目になる。しんどい事この上ないだろう。

もちろん、全教科平均的にできた方がいいのだろうが、誰にも得て不得手はあるもの。IQがよくても、世の中を渡るには、学歴よりも、生活態度の方が重視されるのだ。

残念ながら、私は生活態度が良くなかった。整理整頓クソ喰らえ!とにかく小学生の頃はケンカっ早くて、問題行動の宝庫だった。授業中は絶えず体のどこかを動かしていたし、貧乏ゆすりとか、指ををかむのはしょっちゅうだった。隣の席になった子は良い迷惑だ。

そんなもんだから、中学校の三者面談では、志望校行く気あるの?なんて言われたり…。テスト前なのに勉強もせず穴が開くほど地図帳見たりして。親にしてみれば、この子はテストを舐めてかかってるんじゃないか?と心配ばかりさせてたようで。

高校は英語クラスのある学校へは入れたが、友人はほぼzero。別にいなくても不自由なかったし。要は昔から独り遊びが好きだったんだよな〜。

短大→大学→大学院何れでも孤立して、仲間はずれ。大学院の研究室ではドクターコースの人が研究室室の准教授(まだこの頃は「助教授」と呼ばれてたみたいだけど)にあることないこと吹き込んで、猜疑心を煽って、私が怒られるように仕向けた。

まあこんな調子なので、社会人になってもうまく行く訳ない。一番長い会社でも10年未満。この前まで勤めてた会社に骨を埋めようかと思ってたら、またパワハラのサンドバッグにされる始末。
そしてダウンしたまま18ヶ月の傷病手当満了退職。私をぶっ倒したそいつはまだ現場でがんばってるってさ。マジで仮面舞踏会だな。うまくペルソナを使い分けてやがる。内部と外部で。…最低だな。

故に、私には、この全体主義的な社会が合ってないのだ。個を出し過ぎると打たれて、今度は個を出さなさ過ぎるとやる気あるのかと叱られる…。
丁度いい加減が私にはわからないし、だから加減もできない。

それがADHDという発達特性から来てるとしても、独り遊びがすきで他人と交流が苦手なのがASDという特性から来ていても、過度に敏感なHSPという資質から来ていても、私はわたしなんだし、もうここまで育っちゃったら、やり直しも効かねぇのよ。

やり直しが効かないなら、もうそのまま走っていくしかないだろう。ポンコツだけど、どこ直しても壊れるけど、ポンコツなりの走りを見せてやろうじゃないの?

文章で食えるかどうかは分からんけど、食えても食えなくても、科学的なエッセイはこれからも書いていく。今は働ける精神力も体力もない。このまま、離職票がただの紙屑になってしまうかもしれない。ただ、これだけは言わせてもらおう。

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