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わが街の伝統産業 滋賀県・大津市

第69回 滋賀県大津市 〜天智天皇に由来する地名から名付けられた「膳所焼」は400年の歴史ある伝統工芸品

 滋賀県大津市。県の南西部に位置する県庁所在地で人口は約34万人。世界遺産に登録されている延暦寺や園城寺、日吉大社、石山寺など多くの文化財が点在する古都の街。さらには、京都市に隣接していることもあり、大阪や京都のベットタウンとして人口が増加している。

 その大津市の伝統産業といえるのが「膳所焼」。江戸時代初期の茶人であり武将でもあった小堀遠州政一の指導によって、好みの茶陶を焼造した遠州七窯の一つとされています。非常に軽くて薄いのが特徴で、ろくろで薄く水引きする技術に価値があり、多くは茶道向けです。

 当初は、膳所藩主への御用窯として始まり、その後、大名間で贈答用に作られたものが多く、厳選した原料を使い熟練した職人に手作業により作られ、その後、藩主の庇護のもとに生産が続けられ、小田原屋という者が梅林焼と呼ばれる陶器を開始。続けて、雀ケ谷焼も作るようになるものの、明治維新による藩の都合で衰退していまいました。

 その後、時代は大正に移り、岩崎健三が山元春挙画伯などの協力を得て再興。意思を継いだ岩崎新定が、膳所焼の普及と発展に努め、今日の膳所焼の礎を築きました。現在、色絵や染付など多様な膳所焼の作品が作られています。茶道具のみならず、お皿やスープカップなどの日用品も制作しています。

 指導した小堀遠州政一の「綺麗さび」という美意識をもとにした指導によって、膳所焼は400年の歴史があり、制作している陽炎園は、陶磁器業界及び茶道界において著名な存在となっており、膳所焼は滋賀県の伝統工芸品に指定されています。

 ちなみに、大津市内には「膳所」という地名があり、657年に天智天皇により大津京が設営されたとき、天皇の「お膳を準備する所」であったことにその地名が由来するようです。

 最後に大津市内には瀬田の唐橋があり、『急がば回れ』という諺(ことわざ)がある。琵琶湖から唯一自然流出する瀬田川にかかる橋のことであるが、琵琶湖の東岸から西岸の京都へ向かう際、比叡山からの吹き下ろす強風で、舟が転覆するなどに危険が多い。そこで、瀬田の唐橋を利用した陸上ルートが早くて安全で確実だという意味。ちなみに、瀬田の唐橋は歌川広重の浮世絵の近江八景「瀬田の夕照」で描かれています。
  
   提供:伝統産業ドットコム

#大津市 #瀬田の唐橋 #膳所焼 #天智天皇 #琵琶湖

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