見出し画像

わが街の伝統産業 福岡県・北九州市

第54回 福岡県北九州市 〜世界を魅了する「小倉縞縞」は一度途絶えた小倉織が復活した北九州市を代表する工芸品

 福岡県第二の都市である北九州市。1963年(昭和38年)に当時の小倉、門司、八幡、戸畑、若松という隣接する5市が世界初の対等合併してできた政令指定都市。当時、人口が100万人を超える九州一の都市でしたが、現在の人口は約90万人。

 1979年(昭和54年)に福岡市に人口が抜かれ、今は県内第二の都市に甘んじています。明治時代に八幡製鉄所が建設され、日本四大工業地帯の一角なすなど、かつては工業都市のイメージが強い街でした。

 その北九州市の伝統産業を代表するのが『小倉織』です。江戸時代、日本に綿布が普及し始め、当時の豊前小倉藩で生産が始まったようです。厚くて丈夫なことから、藩の特産品として名を馳せ、全国の武士の袴や帯に重宝され、やがては庶民の衣類にも広く使われるようになりました。

 明治時代に入って、小倉織には黒糸と白糸を撚ったグレーの糸による「霜降小倉」という新しいタイプの生地が誕生。これが男子学生の夏服に使われて、再び、小倉織は全国区になり、夏目漱石や田山花袋の文学作品に記されているようです。その後、機械化の波に押され、昭和初期で一度、途絶えてしまいます。

 それから十数年の時を経て、北九州市出身の染織家・築城則子さんが、1983年(昭和58年)に1枚の古く小さな布に魅せられ、小倉織の再生に動いたことで、この途絶えた小倉織を復活させました。

 その後、2007年(平成19年)に新たな小倉織のブランドである「小倉縞縞」が誕生。印象的な柄と日本人特有の丁寧な手仕事から生まれる織り地が、国内のみならず、海外からも高く評価され人気を博しています。復活した小倉織である「小倉縞縞」は北九州市を代表する文化に成長し、進化を続けています。

 最後に北九州市出身の作家・松本清張氏について。「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」「黒革の手帳」などの多くのベストセラーを残した松本清張氏。1992年(平成4年)に亡くなられましたが、作家としての活動を始めたのは40歳を過ぎてから。昭和末期から平成初期まで、民放各社が放映したサスペンス劇場に多くの作品がドラマ化され、清張ファンを魅了しましたのが懐かく感じられます。

  提供:伝統産業ドットコム

#北九州市 #小倉織 #小倉縞縞 #松本清張 #小倉城 #築城則子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?