あふれ出たもの
「なんだかなぁ」
と思わず声に出てしまうようなことがあった。
正確に言うと、
「これまで私がしてきたことってなんだったんだろう、なんだかなぁ」
というようなこと。
そんな風に思い始めると後からあとから湧いてくるわいてくる。
「なんで私はこんなにタイミング悪いんだろう」
「あの人はラッキーだな」
出てくるでてくる、普段表に出てこないもやっとした感情。
「これまでやってきたことは認めてもらえないのかな?」
「頑張ってやってきたつもりだったけど、伝わってなかったのかな?」
そんなもやもやが溢れて、ついに
「これって私に向いていないのでは?」
という究極のところまで来てしまう。
「何のためにやっているの?」
そんなこと考えてみても分からないし、たぶん、自分のためにと思ってやっているのだろう。
でもよくよく考えてみると、今日起こった出来事は私がこれまでやってきたこと・今やっていることを否定しているわけではなく、そのことに直接関係しているわけでもなく、誰かから非難を受けたわけでもない。
今日起こった、自分の中でなんとなくもやっとする出来事と、これまでの自分のやってきたことを勝手に自分の脳内で結び付けて、ああじゃないこうじゃないと暗い方向へ考えてしまっているだけだ。
小さな不満とか不安はいつの間にか心の中に蓄積されていって、また新しい小さい不満が一滴ぽとりと落とされるとそれを皮切りにコップのふちから溢れて顔をのぞかせてくる。
そのときやっと、
「ああ、私は不満がたまってたんだ」
と気付く。
気付いたらその時がチャンス、コップになみなみになっている残りの部分、まだ外へ溢れていない中身もすべて出してしまえ。
紙に書くでも布団の中で叫ぶでもよい、誰にも迷惑かけないで処理する方法なんていくらだってある。
そうしてコップを空っぽにしたら、少しすっきりするだろう。
できるだけ毎日すっきり生きたいものだけれど、生活していればどうしても小さい不満はたまっていくもの。
また次の小さい不満の納まる場所を、コップを空にして作ってあげたらいい。
そしてまたいつか、何かのタイミングで一滴の不満がぽとりと落とされ、
「ああ、私は不満がたまってたんだ」
と気付いた時には、またどうにかして空っぽにしてあげれば良い。
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