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「あなたのためを思って」という言葉の違和感

「あなたのためを思って言ってるんだよ」
という言葉をしばしば耳にする。

それは例えば親子の間柄であったり、友達同士であったり、恋人同士であったり、家族であったり。
色々な関係性の中で出てくる言葉だと思う。

この「あなたのためを思って」という言葉は、一見すると相手のことを思いやっているように見えるので、とてもやっかいだ。
もちろん、“相手のことを考える” ”相手がよりよい方向へ行くようにしたい”
という相手のことを考える気持ち自体はとても大切だし、そう思われた相手は少なくともその人から好かれてはいるだろう。

でも、この “あなたのためを思って” 出る言葉って、結局その人の頭の中で考えた ”あなた” に向けて言っている言葉なので、思慮深いようでいて実は自分の頭でしか考えていないのだ。

「あなたのためを思って言うけど、病院に行った方が良いよ」
「あなたのためを思って、掃除しておきました」
「あなたのためを思って言うけど、不倫はやめた方がいいよ」

は、実は

「あなたのためを思って言うけど(私はその症状をひどいと思うから)、病院に行ったほうが良いよ」
「あなたのためを思って(私は部屋が綺麗な方が良いと思うから)、掃除しておきました」
「あなたのためを思って言うけど(私はきっとあなたがつらい思いをすると思うから)、不倫はやめた方がいいよ」

こんな風に、間に隠れた自分の思いがある。
隠れた思いがあってこそ「こうした方が良い」という意見がでてくる。
けれど、いざ伝える段になって、この「私はこう思うから」という ”I” の視点が抜けてしまいがちだと思うのだ。
この「私はこう思うから」というのを忘れてしまうと、もっともらしく ”あなたのためになる” という重さの加わった自分の意見の押し付けになってしまう。
元は “あなたのためを思って” 考えていたはずが、いつの間にか自分のエゴになっている。

“あなたのためを思って” 相手に何かを伝えるときには、それはあくまで私の頭で考えた範囲での相手の利益であって、
必ずしも本人のためになるかどうかは分からない、という姿勢でもって言葉を伝えるようにしたい。

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