泣いたついでにむかしがたり
声を聴いて、さんざん泣いて、体から力が抜けた。ぽかーんとしていると、「死にたい」が浮上してくる。
おそらく思考の回路が、そういう風につながっているだけで、別に意味はない。惰性で死にたいと思ってしまう。いつものこと、として、ゆうらり眺めている。ゆうらり眺めているうちに、他の事に気を取られて、もう音楽など聴いている。
その繰り返し。その繰り返しを何十年もしてきた。心がどんどん冷え込んで、感覚が鈍麻して、寒さや痛みを感じなくて、ただただ血を見たくて、見れば少し落ち着いて。自分を自分でかわいいと嘲笑って。
ある時、空虚ですっからかんの母親でも、この世にいるだけで、満点だとどこかで思い込んだ。何より、自分の死が子供たちに与える影響が怖かった。自分では死なないと決めた。
それでも、ある時、ODをしてしまい、起きたら眉毛がなかった。腕もかわいい切り傷がいっぱいだった。それだけでも、笑えるのに、なぜかラリった状態で、家族で外食に行った。ラリって、ずっと笑っていた。笑いながら足がよろけた。
さっき気づいたけれど、そういう面で、うちの夫は父親として、夫として、人として全く機能しないクソだ。受診もせず終わった。反省だけが残った。
それからしばらく数年は、なんとか日々をやりくりした。その間、息子たちは思春期に入り、難しいことも増えた。三男の不登校も始まった。辛いのは本人で、私が落ち込んではいけないと思っていた。相当、無理をした。
2018年の1月に、新卒で入社した時の上司が、精神を病んで亡くなったことを聞いた。好きだった人だった。出会った時は、私は結婚を決めていたし、彼にも婚約者がいた。もう少し早く出会っていればね、とすれ違った。
その訃報を聞いて、揺れた。うつ病が人を殺す病気であることが初めてわかった。今までおざなりにしていたことに絶望した。仕事ばかりして、家の事も私の事もほったらかしの夫と口論をした勢いで、ありったけの薬を飲み始めた。夫の目の前で2シートくらい、その後夫が寝てからあるだけ飲んだ。SSRIは怖かったので飲まなかった。そういうところは、かわいい。
この時、夫の不倫は6年ほどになっていたけれど、私はまだその事は知らなかった。やっぱり夫は大馬鹿か、クソだ。今まで死ぬ死ぬ詐欺をいっぱいしてきて死ななかった報いだとか思っている私も馬鹿だった。
次の日、仕事に行かなかった。リビングで寝落ちていた。10時過ぎに、それを夫が見つけて、珍しく救急車を呼んだらしい。職場にも電話を入れてくれたらしい。
大きな病院で、点滴を受けたらしいが、何も覚えていない。断片的に足元のレンガの色が揺れていた事、どこか窓のある店に入って座った事、普段通っている心療内科で尋問みたいな診察を受けた事、が視覚情報として残っている。
後で夫に話を聞いたところ、大きな病院を出た後、近くのパンケーキ屋さんのパンケーキを私が食べたいと言ったので、一緒に食べたそうだ。
その時は、それを聞いて、腹を抱えて笑ったけれど、今思い出してみると、相当な話だ。このODについて、夫から何か尋ねられる事もなければ、労られる事もなく、子どもたちへのフォローもしてくれていなかった。ただ、いつも通りの日常が始まった。
この後、8月に不倫が発覚する。
でも、やっぱり生きてる。
今日、夫のことを、クソだと再確認した日。もう、別居して1年が経ったし、お金だけ取り上げてるから、相当恵まれている。
私がずっと欲しいのは、確かな感心と愛だけれろもね。
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