人間が扱う情報の真性とは何なのか

人間が扱う情報の真性とは何なのか
考えさせられています。

この記事によると、過去の日本の影響を1つの出発点としているものの、実は韓国国内問題であると原因が推測されます。もはや『親日』『反日』の問題ではないのです。

先に投稿した「こういう情報がある…」の動画の内容、どういう立場の教授が、どういう意図で発信したのか、照会してみたいところです。


記事からは
「経済発展さえすれば軍事独裁政権による、横暴には目をつぶるべきなのか⁈」と言う悲痛の叫びが聞こえてきます。(軍事政権は何となく分かりますが、大統領選挙に不正があったとしても、政党内から選ばれたトップがあれだけ入れ替わって独裁と言うのは、何かしくりきませんが。)


確か二十歳の時、軍事政権による戒厳令下の釜山で、記事にある学生運動のグループに、私1人呼び出されて議論したことや

その後、また釜山で、韓国人の私の友人が金大中氏の秘書になってくれと誘われた話をしていたら、危ないから話すなと、止められたことを思い出します。


計測可能なデータと、感情のようなあやふやで個人的なデータ。この様な様々なデータをどう情報の構造として保持できるのか、興味は尽きません。ヽ(´o`;趣味だな。


終わりに、他国のことながら一言。
自国の国民の為に、公正な政治をしろよな!
(完)

ちょっと書いてみます。