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クリーム色の水槽から

※おじさんの精神日記につき注意※

1ヶ月弱、精神病院に入院してる。閉鎖病棟つってもドグラ・マグラの狂人解放空間みたいな自由なところ。

ここには色んな人がいる。常に何か変なことが起きる。僕を含め他人に迷惑をかけちゃう人がたくさんいる。でも、根っからの悪意を持った人は全然いなくて、それはそれで心にくるものがあった。僕は1ヶ月間、ここの外に満ちた悪意をスマホの窓越しに眺めていた。

情報が全身を打ち付けながら全てが飽和して落ちていく現代において、精神を健康で保ち続けるのは正気の沙汰じゃない。

今どき"病んでること''に病む必要は無い。

僕がやっちまったのは考えの「時間的スケール」を大きく考えすぎた事だった。生きる目的、結局死ぬこと、破綻した人生計画、真の幸せとか。それらは僕みたいな弱い弱い一人の人間がパッと考えられるようなスケールじゃない。

ここに来て最初にトレーニングしたのはとにかく「思考の時間的スケールを一旦ゼロにする」ことだった。「イマココ」のこと、網膜に写った目の前のことだけを考える。むしろ考えない迄微分した身体を前提にすると、少しづつ楽になっていった。

他人との会話の総量が少なくて、なんの信仰心もない僕は↑みたいな当たり前のことに気づけないし、実践できていないもんだ。

あと、これは「能動的な開き直り」だ。本当は最後にやることじゃないから、全てが取り返しのつかないことになる前に、ちょくちょく開き直っておこう。※無敵の人になっちゃうぞ

ほとんどの精神病は入院しても薬を飲んでも完治しない。寛解といって症状を抑えて症状と上手く付き合うのに慣れるのを目指す。でもそれが出来れば(僕にとっても僕以外にとっても)別に良いじゃないかと今は思っている。鬱とADHDの衝動性を抑えて日常に溶け込んでいきたい。

僕はクラブで激烈な快楽を得ているから、それ以外のことをおざなりにしがちだ。快楽のCHが狭く周辺のCHが没落してしまっている。

だから、各ドーパミンのバランスじゃなくて、ドーパミンとセロトニンのバランスをとる方に身体を向けていきたい。

※セロトニンをだすには、自然の木漏れ日の中で何も考えない事が無料で合法で良い。空いてる日にそれだけは騙されたと思ってやっといた方が良い。

こんな事をゆっくり1ヶ月かけて分かってきた。

こんな文章は不特定多数の他人様に読んでもらってもしょうがないけれど、自分に言い聞かせることと、時たま思い出すことと、その周辺の気持ちのために残しておく。


ブレイクコア!!