第五巻 第四章 揺らぐ幕府政治

〇江戸城の一室
徳川吉宗(紀州藩主・八代将軍・三十四歳)が水野忠之(老中・四十九歳)と会話している。
N「紀州藩主・徳川吉宗は、七代将軍・家継が八歳で夭折し、秀忠の男系男子がいなくなったことから、享保元(一七一六)年、八代将軍に就任することとなった」
吉宗「余の公方としての最初の命じゃ。大奥の中から、特に美しい女を五十名選び出し、余の前に揃えよ」
少しがっかりした表情でうなずく忠之。
忠之(M)「聡明なお方と聞いていたが……噂ほどでもなかったか」

〇江戸城・大奥
吉宗の前に、選ばれた大奥の女五十名が、目一杯着飾って平伏している。
吉宗「……面をあげい」
顔を上げる女たち。いずれもこの世のものとは思われぬほど美しい。
吉宗「なるほど、いずれも劣らぬ器量よしじゃ」
女たち、誰が選ばれるのかという期待に燃えて、吉宗の視線を受け止める。
吉宗「これなら、嫁に行くのに困ることはあるまい。その方らは今すぐ、大奥から下がって、好きなところへ嫁に行くがよい」
一瞬ぽかんとして、ざわつく女たち。
吉宗「(高笑い)はっはっはっ。公儀の財政は、窮乏に貧しておる。ゆえに、大奥の費えも、節約することにした。まずは嫁入り先に困らぬであろうそなたたちに、大奥より下がってもらう」
N「後に言う『享保の改革』のはじまりであった」

〇小石川馬場火事
N「享保二(一七一七)年一月二十二日、江戸を小石川馬場火事と呼ばれる大火が
襲う」

〇江戸城の一室
吉宗(三十六歳)と大岡忠相(町奉行・四十四歳)が会話している。
吉宗「江戸の大火には、今の大名火消しでは間に合わぬようじゃな」
忠相「は。この際、町人たちにも火消しを組織させてはいかがでしょうか」
吉宗「なるほど……」
N「吉宗と町奉行・大岡忠相(大岡越前)は、町火消しいろは四十八組を組織、江戸の防火体制を大幅に見直した」

〇書物問屋
店主が畳に、何冊もの書物を並べている。それを手にして興奮している客たち(二~三人、医師風の格好)。
客「これは、漢訳されているが、南蛮の書物ではないか! ご禁制に触れるのではないか?」
店主「上様がご許可を出された。キリシタンの教えの本以外は、自由に売っていいそうだ」
客「おお、これは蘭方の医学書! 最新の医術がこれでわかる……!」
N「吉宗は、洋書の輸入を一部解禁し、後の蘭学の隆盛の基礎を作った」

〇江戸城・竜ノ口評定所前
設置された目安箱を警護している役人。遠巻きに野次馬が囁き合っている。
野次馬「見ろよ、あの鍵穴……公方さま御自らしか、あの鍵はお持ちでないんだそうだ」
野次馬「ということは、本当に公方さまが御自らお読みになるのか……」
一人の立派な格好の侍が、野次馬の中から進み出て、目安箱に投書しようとする。どよめく野次馬たち。役人、侍を制して
役人「これ、処と名は記したであろうな」
役人「匿名の投書は受け付けぬ決まりじゃ」
真っ青になった侍、小さくなって逃げて行く。
N「小石川養生所の設置など、実際に目安箱の投書が政策に反映され、諸藩でもこれを真似て目安箱を置いたところも多かったという」

〇江戸城の一室
吉宗(三十九歳)と水野忠之(五十四歳)が会話している。
忠之「(書類を見ながら)家柄を問わず、人材を登用するのは、よいことにございます。しかし、重い仕事に就けるためには、その者たちを昇進させなくてはなりませぬ。そうすると費えが……」
吉宗「彼らの家格は据え置く。その代わり、役職に応じた俸給を出す。一代限りのな」
忠之「(感心して)それならば公儀の負担は、最小限で済みますな。さすが上様……」
N「この『足高の制』は幕末まで受け継がれ、家柄を問わずに人材を活用することができるようになった」

〇江戸城の一室
吉宗(三十九歳)と水野忠之(五十四歳)が会話している。
吉宗「さて、余が公方に選ばれたのは、紀州で成功した、改革が認められたからじゃ。そして今、公儀を立て直すことが余に求められておる」
忠之「左様にございます」
吉宗「公儀を立て直す方法は一つしかない。『費えを減らし、収入を増やす』」
忠之「……当たり前の事に聞こえますが」
吉宗「その当たり前の事を当たり前にやったからこそ、余は紀州で成功したのだ。まあ見ておれ」
自信満々の吉宗。

〇天領の農村
代官が百姓たちを集めて、御触書を読み聞かせている。
代官「恐れ多くも上様のお達しである。これまで年貢は、年ごとの取れ高に応じて決められてきたが、これよりは過去五年間の取れ高の平均から、事前に年貢の割合を定める」
ざわつく百姓たち。
百姓「凶作の年に、豊作の年の割合で年貢を取られたら、えらいことになるだ……」
N「幕府にとっては、来年度以降の歳入が予想できて便利な定免法であったが、実質の年貢の負担は増えた」

〇江戸城の一室
帳面と首っ引きになっている吉宗(中年)。
N「吉宗は米相場に介入するなどして、米価の高値安定に努め、『米公方』とあだ名されるまでになった」

〇農村
ウンカ(害虫)の大軍が作物を食い荒らしていく。
百姓たちは火を点けた棒を振り回したり、網を振り回したりしてウンカを逐おうとするが、無力である。
N「享保十七(一七三二)年、西日本の各地で、冷害と害虫による大飢饉が発生した」

〇代官所
クワなどの農具を手に手に、農民たちが代官所に詰めかけ、役人と押し問答をしている。
百姓「今年の年貢を棒引きにせよ! せぬのならこのまま代官所を打ち壊す!」
必死で押しとどめる役人たち。
N「各地で一揆が頻発し」

〇江戸
米問屋を襲撃する町人たち。
町人「米が値上がりしているのは、悪徳商人が溜め込んでいるからだ! 蔵を打ち壊して、米を奪い取れ!」
N「翌年には米の値上がりを受け、江戸では打ちこわしが起こった」

〇小石川薬園
吉宗(中年)が青木昆陽(中年)から、サツマイモの説明を受けている。
昆陽「やせた土地で、雨が少なくとも、サツマイモだけは実ります。薩摩の土地はやせておりますが、このサツマイモのおかげで飢饉は免れておるそうです」
吉宗「(焼き芋をかじりながら)なるほど、甘くてうまくて腹に溜まる。このサツマイモを全国に広めれば、飢饉はきっとなくなる」
N「サツマイモの普及によって飢饉から救われた藩もあったが、全体としては、吉宗の飢饉対策は成功とはいいがたい結果しか出せなかった」

〇公事方御定書
N「寛保二(一七四二)年には、裁判の基本法典となる『公事方御定書』が作成された。連座の制(犯罪者の親族を処罰する制度)が廃されたなど、綱吉の代から続く文治政策の一つの頂点となった」

〇江戸城の一室
田沼意次(老中、中年)と徳川家治(十代将軍、青年)が会話している。
N「幕府を財政破綻の危機から救い、一応の成功を収めたとされる『享保の改革』であったが……」
意次「吉宗公の改革は、一時しのぎに過ぎませぬ。吉宗公には、時代が見えていらっしゃいませんでした」
家治「時代とは何ぞ」
意次「米で国家のを動かす時代はもう終わったのです。これからは、銭が国家を動かします」
家治「ほう」
意次「吉宗公は、『費えを減らし、収入を増やす』ことが、財政再建であると考えておいででした。しかしこの考え方では、収入はあるところまでしか増えませぬ」
家治「ふむ」
意次「国そのものを富ませれば、収入はどこまででも増えます。しかしそのためには、元手が必要となります。これからは『費えは多く、収入はもっと多く』で参りましょう」
N「老中・田沼意次は、十代将軍・家治の支持を受けて、積極財政政策を実行した」

〇大商人の館
広間に大商人たち(立派な格好)が集められている。その前でにこにこしている意次。
意次「これよりは株仲間をさし許す。商いを盛んにし、冥加金(税金)を納めよ」
N「『株仲間』とは、同業者が組合を作り、その事業を独占することである」
ざわめく大商人たち。
意次「信長公が楽市・楽座を進めた頃は、商人を新規参入させることで国が富んだ。しかし、今は時代が違う。同業の商人たちが協力しあうことで、商いを大きくしていかなくてはならない」
おお、とどよめく大商人たち。
N「重商政策に舵を切った田沼政権は、財政立て直しに成功し、幕府の備蓄金は一時、百七十万両を超えた」

〇田沼邸の一室
豪華な掛け軸や置物、陶磁器などが部屋一杯に置かれている。
N「しかし別の面から見ると、利権を求めてワイロが横行する、汚職の時代でもあった。意次の私邸には、商人たちが贈り物を携えて、列を為したという」

〇小塚原刑場・小屋
罪人の解剖を見学している、杉田玄白(医師・三十九歳)・前野良沢(医師・四十九歳)・中川淳庵(医師・三十二歳)。
N「田沼時代には蘭学も振興され、多くの蘭学者たちが洋書を手に取った」
担当者「ここが肺臓、ここが心の臓……?」
だが三人は、役人の説明を聞かず、手にした本と実際の死体の内臓を真剣に見比べている。
担当者「あんたら、何見てなさるだね」
玄白「(興奮して)こ、このオランダの『ターヘル・アナトミア』を見てみるがいい!本物の死体と、内臓の配置が寸分たがわぬ!」
良沢「それに比べて、この漢方の解剖図……まるきり想像で描いたとしか思えぬほど間違っておる!」
ぽかんとしている担当者をよそに盛り上がる玄白たち。

〇解体新書
N「この三人に桂川甫周を加えた四人は、『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、安永三(一七七四)年に『解体新書』として刊行した」

〇松平定信(老中、中年)
N「田沼意次が政争に敗れて失脚すると、吉宗の孫に当たる松平定信が政権に就き、『寛政の改革』を行う」
定信「商人どもがあぶく銭で儲け、ワイロが横行するような世の中はいかん。日々汗水流して働く、百姓たちが報われる世の中に戻さねば」
N「定信は意次の政策のほぼ全てを否定し、倹約で幕府の財政を立て直そうとした」

〇人足寄場
入れ墨の入った罪人たちが、木工などの訓練をしている。それを視察してい
る長谷川平蔵(火付盗賊改・中年)
N「火付盗賊改方・長谷川平蔵(鬼平)の進言により、寛政二(一七九〇)年、犯罪者の更生施設である人足寄場が設置され、一定の効果を挙げた」

〇奉行所の塀
野次馬たちが塀に書かれた落書きを眺めてわいわい言っている。
落書「白河の 清きに魚も 住みかねて もとのにごりの 田沼恋しき」
役人たちが駆けつけてきて野次馬を追い払い、
役人「いいか、この落書の噂を広めたりしたら、厳重に罰するから、そのつもりでおれ!」
落書を消しにかかる。
N「倹約を重んじるあまり、庶民の娯楽まで統制しようとした定信の政策は、民衆からも不興を買った。結局定信は、さしたる改革の成果も挙げぬまま、寛政五(一七九三)年に失脚する」

〇海国兵談
N「寛政の改革によって発禁となった、日本の国防の必要を説く『海国兵談』の著者である林子平も、この年獄死する」

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