理解のある彼くん問題と、暴力的な男の方がモテる問題について

 筆者の原稿では、Twitter上の地獄について報告することが多いが、今日もまた地獄レポートをお届けしよう。 
 近年、Twitter等のWeb、あるいは商業/非商業のコミックエッセイなどで、
「私はこうやって『鬱(うつ)』から回復しました!」
「発達障害だけどこうやって乗り切っています!」
 などの「生還レポート」が数多く発表されている。書き手の圧倒的多数は女性で、かつほぼ全ての作品に「理解のある彼(夫)くん」が登場する。
 もちろんこれらの「生還レポート」の全てが事実である保証はないし、事実だとしても脚色が施されている可能性は否めない。しかしこれらのレポートを見て
「弱者女性は理解のある彼(夫)くんに救われるが、弱者男性は誰にも救われない!」
 と弱者男性界隈が噴き上がっているのである。そこまではまあ仕方ないにしても
「(曽)祖父母の世代のように、男性に強制的に女性をあてがえ!そうしたら一切の社会問題(少子化など)が解決する!」 
 ここまで噴き上がってしまっては、同じく弱者男性である筆者にも同意はできない。第一、この「理解のある彼くん問題」には、一つの仕掛けがある。それは「生存バイアス」。
「生還レポート」を発表する女性たちは、困難から生き延びて、レポートを発表できるまでに回復した。しかし男女問わず弱者が、生き延びてレポートを発表できるまでに回復するためには「親密な人間関係」 によるサポートが不可欠なのだ。
 もちろんこの「親密な人間関係」が恋愛や結婚である必要はなく、家族や自助グループでも構わないわけだが(現に漫画『セックス依存症になりました。』作者の津島隆太氏は男性で、自助グループの助けて回復している)、弱者女性にとって、最も手の届きやすい「親密な人間関係」が「理解のある彼(夫)くん」なのだ。逆に言うと
「理解のある彼(夫)くんと出会えなかった弱者女性は生還できない」
 がゆえにレポートがないのである。
「じゃあ『理解のある彼女(妻)ちゃん』に救われる弱者男性の話が存在しないのはなぜだ!」
 たとえば、福満しげゆき氏の一連のエッセイ漫画がそれではないかと思うが、弱者女性が救われる話に比べて、圧倒的に少ないのは事実である。しかしここには社会システムの歪みがある。
「女性の平均賃金は男性の0.8倍」
 そう、単純に、「理解のある彼女(妻)ちゃんは弱者男性を養えない」のである。現代日本の貧困と孤立の現状は極めて厳しい。ゆえに筆者は、
「弱者女性が『理解のある彼(夫)くん』の助けを借りて助かる」
 ことを全肯定する。もちろん、理念的には全ての弱者が救われるべきであるが、まず助かることができる人から助かるのは、正しいと言わざるを得ない。弱者男性は弱者女性の足を引っ張るのではなく、自分たちが助かる道を模索すべきである(筆者も模索している)。
 これに関連して、弱者男性界隈でよく噴き上がる、もうひとつの誤解についても解き明かしておこう。
「女性は暴力的な男性が好き! 殴る男性と殴らない男性がいたら、必ず殴る男性を選ぶ!」
 これは私の乏しい経験に照らしても事実なのであるが、ここには言わば、叙述トリックがある。
「そもそも精神的に健康な女性は『殴る男性』を交際相手の選択肢に入れない」
「『殴る男性』が選択肢に入る時点で、その女性は相当病んでいる。『殴る男性』を選んでしまうのは、一種の自傷行為であり、症状である」
 あえて言うなら「殴る彼氏」と付き合ってしまう女性に必要なのは、「殴らない彼氏」ではなく、医療や福祉へのアクセスなのである。弱者(に限らず)男性は、そういう女性と遭遇したら、恋人になって救おうとするのではなく、医療や福祉へのアクセスを提供すべきである。
 これは弱者男性だけでなく、過激なフェミニストにも言えることだが、男女が対立している限り「分断して統治」している連中や、「分断を煽って利益を得ている」連中が喜ぶばかりである。
 団結は一朝一夕にはいかないと思うが、まず分断をあおるのをやめようではないか。


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