見出し画像

宮崎駿にしか作れない積み木─『君たちはどう生きるか』(AIには作れない)


はじめに

「君たちはどう生きるか」を観ました。「よくわからない」という前評判から自分の好きそうな作品の匂いを感じながら、タイトルからただならぬ圧を感じてあまり期待していませんでした。(風立ちぬみたいな感じかなぁ~と)

しかし、期待を裏切る素晴らしい作品でした。予想していたものとは全く違いました。

ぼくはよく作者と作品の関係を考えています。
個人的に、映画はどちらかというと作品単体で楽しむ方で、作者の情報は後付です。(ナウシカとかもののけ姫は宮崎駿関係なく好き)

最近ではAIは宮崎駿の映画を作れるのか?とか、作れたとしてそれを作品単体として楽しめるのか?(多分楽しめる)みたいなことを考えていました。

しかし、この映画「君たちはどう生きるか」はAIでは作れない、宮崎駿にしか作れない作品で、だからこそ価値があり、だからこその遺作でした。

作者と作品
死者と遺書

そういう意味でいうと今回の映画は、今までのジブリ映画のように作品単体だけでわりと楽しめる作品ではなく、賛否両論な理由がわかります。作品単体ではあまり楽しめない駄作な気もします。

現実とフィクションの葛藤、アニメ監督としての宮崎駿作品

死者がいてこそ遺書には意味や価値があり、AIが作った遺書は無意味であるように、これは宮崎駿だからこその作品に僕は感じました。

そして監督としての宮崎駿の死を感じました。

その理由と僕が観た感想を適当に書きます。(他のレビューを読む前に書かないと批判に脳が汚染されそう)






ネタバレあり!

無情なまでの現実

映画冒頭は戦時中で、病院が焼け母が死に田舎に疎開する。無遠慮な新しい母親(しかも母の妹で妊娠中)と脳天気な父親。バカでかい屋敷を冒険するわけでもなく疲れて寝る。転校初日、車を見せびらかしながら学校まで送迎され、もちろんいじめられる。自分の頭を石で打ち、そんな馬鹿な大人たち(非情な現実)への反抗から始まる。

なるほど、ここからライ麦的な話に展開していくんですね!少年はタバコを吸うんだろうか!?しかしまぁ、いつまで宮崎駿は少年少女の話を書くんだろう?やっぱりこの人はフィクションに心を囚われていて、死ぬまで童心で永遠の中二病なんだろう。

今回はそんな現実と戦う少年の話なのか… ライ麦じゃん!できればフィクションも欲しかったなぁ。あのアオサギはパッケージ詐欺かよ。

そう思っていると、非現実的なシーンが入る。アオサギが喋り、カエルに襲われ目が覚める。

夢オチかよ!がっかりだよ!

これこそ無情なまでの現実。ぼくも夢から覚めてしまった。たぶん少年にしか見えてないんだね。強く頭打ったもんね。


フィクションへ溶け落ち、沈んでいく

「馬鹿な大人たちには見えないのか、ならば僕だけで倒すしかない! ナイフじゃ刃が立たない、武器を作りあの詐欺師を退治してやる!」

「この虚空断裂の星影弓でな!」

わかるわかる。ナイフ持っちゃうし、飛ぶ敵には弓だよね!オリジナルの武器がいいよね。目を当てられないほどの中二病だ。

「坊ちゃま、罠ですぞ!」

あれ?どうやら幻覚とか夢オチではなさそうだぞ?変なばあちゃんにも見えてるし。
怪しげな洋館、キモいアオサギ、謎の大叔父様

屋敷から洋館へ、和から洋へ、現実からフィクションへ

このワクワク感、冒険感、子供の頃に図書室から本の世界に飛び込んだ「少年の日の思い出」これよこれ!

場違いに金ピカの門に墓所だと?さらに和服に鞭にセイル船!
三途の川ならぬ三途の海!

冒頭は焦らしプレイ、待ちに待った冒険に心躍る!

宮崎駿ワールド全開!やっぱり宮さんは俺たち童心をわかってる!

怪魚にふわふわに謎の少女と謎の部屋!そして囚われる少女と主人公!


ラスボス登場

積み木で遊ぶ大叔父様「ふっ、これで1日は持つだろう」はい、完璧に中二病です。もちろん親族の主人公はちゃんとつっこみます「一日ですか!?」中二病は遺伝だったか。

なんと大叔父様はこの不思議な世界の創造主で、僕には後継者としての適性があるみたいです。

しかも隕石との契約で親族しか引き継げないらしい。そして崩壊まで時間はない(1日)。

なるほど、だから身籠った義母には僕を人質に、僕には義母を人質にして、この世界の後継者候補2名を連れ込んだわけですね!
(義母は主人公を助けるために、主人公は義母を助けるために、自ら生贄になったというパラドックス考察🐊)

自分の妄想に他人を巻き込むなんて、どこぞの父親と同じ悪人だ!
「ぼくはエヴァに乗ります!」
こんな世界がどうなろうと知ったこっちゃないね!母さんを助けるんだ!

ところでこの人誰かに似てないか? いや碇ゲンドウじゃないよ…
このひげ、この貫禄、この世界を作った人…




み、み、宮崎駿だ!

そう、童心に囚われるどころかフィクションにアニメ映画に囚われてしまった大叔父、否、大監督 宮崎駿じゃないか!

え、ちょ、この世界どうなっちゃうんですか? ぼくは主人公(吾朗さん)がやっぱり一番適性があって向いてると思います。おい主人公!この世界頼んだぞ!ジブリの未来はお前にかかってる!


現実とフィクションの折り合い

「あの子は優しい子だ。母と現実に返そう」

ええ!?宮さん、主人公を現実に返しちゃうんですか!?た、たしかに吾朗さんは宮さんより狂人(強靭)じゃないし、人付き合いよさそうで優しそうですけど、一番後継者適性がありますよ!

僕たちみたいな!宮さんの表現をオウム返しするような!烏合の衆!鳥象無象ではダメなんです。

「時間がない積み木を立ててくれ」

そうだ!積み木を建ててくれ吾朗!お前ならできる!

「ぼくには悪意がある。できない」

な、な

あぁ、お、オウムの王、あなたじゃ、僕たちじゃ、ダメなんだ…

ガラガラ~

み、宮さんの世界が物語がフィクションが崩れていく…


現実へ羽ばたく鳥たち、フィクションから解き放たれる僕たち、糞を撒き散らしながら…

「綺麗ね」
(俺たちの糞まみれで「綺麗」っておま、いいやつすぎるだろ涙)



さよなら宮さん、さよならフィクション…









お、おい吾朗その手に持ってるのは!

フィクションの欠片、僕たちの希望

あぁ、どうかその希望を!この記憶を!この映画を!
忘れずに、新たなフィクションを積み上げていってくれ

パタパタパタ~

と涙ながらにオウムは映画館から飛び立ちました。


まとめ

おいおい、なんだよこれ。冒険心とかいって感情移入してたら、オウムになっちゃたよ。ナウシカみてたら王蟲になっちゃった感じだよ!
冗談はさておき、

虚構と現実

天気の子とシンエヴァとも違う、新海と庵野とも違う。宮さんの答えを教えてもらった。
やっぱり宮さんはフィクションに囚われている。現実へ帰ることも考えていない。もう割り切っている「俺はフィクションの人間だ」と
それでも、現実のことを考えている。観客、僕たちオウムのことを、後継者の主人公のことを、現実から抜け出せない自分のことを。

そしてぼくもこの作品をメタ的に観てしまった。フィクションなのに現実を重ねて観てしまう。

自己言及のパラドックス、全て嘘だと言うアオサギ、真と嘘、虚構と現実、無限の牢獄、輪廻転生

現実と虚構は切っても切り離せない。

それでも、虚構にアニメ映画に割り切った宮崎駿からの問

「君たちはどう生きるか」

現実から見たジブリの世界はまさに楽園だ。しかしあちらの世界から見た現実もまた楽園なんだ。

「君たちなら虚構と現実、どちらの楽園を選ぶ?」
この映画は虚構の王 宮崎駿からの問いかけだった。






蛇足

ってこれマトリックスじゃん。宮崎駿はモーフィアスだった?それともエージェント・スミス?
そんなことより、今作はファンタジーというよりSF感あったよね。隕石とか時間超越、無限回廊とかとか
すごくジブリ版「2001年宇宙の旅」のような感覚でよかった!
あと、骨組み渡るシーンとかちょこちょこダークソウルぽさ感じた。


そしてテーマでもあるんだけど、現実と虚構が対比と溶け合う感じがより虚構への冒険感とか非現実さを際立たせていて興奮した!

そして現実の暗喩(メタファー)、映画でだけ主人公(吾朗さん)への期待とか観客(オウム)への思いとか友達(鈴木敏夫)への感謝とかを伝えてる部分が、宮さんっぽいなと思った。フィクションでしか自分を表現できない人ってのが大叔父様っぽいし、この映画だし、宮崎駿って感じ。
自分の作品(フィクション)を人質にとるなんて、辞める辞める詐欺する監督らしいよ。

結局、宮さんはオウム(僕たち)好きなんでしょうか?

この映画で最後までわからなかった部分です。










蛇足2


そういえば、事前に目にした母とか女性について、僕はよく分からなかったんですが、なんとなく
女性は現実、運命の受け入れが男性より強かです。
親と子、生と死、過去と未来、虚構と現実
僕たち男性は、産めないし、子供のこと理解できないし、結婚したくないし、死を恐れるし、現実を恐れてます。

反対に女性はわりと現実的です。

それは母として子供を産めることを運命づけられてしまった女性の、男性には決して勝つことのできない特性だと思います。

いつかは子を産むかもしれないし、いつかは死ぬかもしれない。そういった現実に対しての受け入れが男性には真似できません。

今作でも、幼少期の母親が息子を受け入れ、自分の死を受け入れ、現実を運命を受け入れています。(怖くないわけではありません)
それに対して、主人公はビビってるし、パパは…

男のほうがビビりだよね。

そんな男性からみた女性の凄さを表現しているように感じました。(「メッセージ」という映画もそんな感じです)

よんでくれてあざます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?