「僕だけが人間のままだった」ショートショート

僕だけが人間のままだった。


目が覚めると、働き者の父はアリになっていた。歌を歌うのが好きな弟はセミに、母さんはハチになっていた。

各自の部屋で、這いまわったり、啼いたり、飛んだり。忙しくて、楽しそうだった。

はじめに断っておくけれど、今後彼らが人間に戻ることは、絶対にないんだ。

僕だけが人間のままだった。

街に出ても、アリや、キリギリス、好色な奴らはゴキブリになった。せっせせっせと、働いたり、怠けたり、子作りにいそしんでいた。

彼らはとても幸せそうだった。もちろん彼らも、人間に戻ることは、今後一切ないんだ。

人から生気を奪う、あの魅力的な人たちは、蚊になって、ぶんぶん飛んできた。僕が部屋の電気をつけていると、灯りにつられて入ってきて、僕の腕にとまって、ちゅうちゅう吸うんだ僕の血を。僕はそれをはたいたりなんてできなかった。思う存分吸わせてやったさ。彼らも人間には戻れない。僕だけが人間なんだ。

どこを歩いても、蟲だらけだった。みんな歌を歌い、働き、子供を育て、啼いて、飛んで、血を吸って…いつまでも人間に戻ることはなく、これからも生き長らえていく。僕が死んでしまった後も、彼らの営みは永遠に続くことだろう。いつまでも、いつまでも。たとえ世界が終わっても。

今日も僕は、父の部屋に入り、角砂糖を置いてやる。母の部屋には幼虫を、いつも啼いている弟には何もやらなくて大丈夫だ。

それから家を出る。親友だったボブの家だ。ボブはせわしない奴だった。ガールフレンドができると、真っ先に嬉しそうな顔で報告してきて、僕は軽くあしらっていたけど、楽しい奴だと思っていた。

ボブはハチになった。母さんと同じだ。僕はボブの部屋に入り、道で拾った幼虫を置く。いつもはそれで帰るのだが、今日はなんだか、ボブの部屋にいたい気分だった。畳の上に座る。あぐらをかいて、ボブを目で追う。ボブは僕を刺したりせずに、僕の周りをぶんぶん飛ぶんだ。僕は仰向けに大の字に寝転んで、天井を見つめる。そして目を閉じる。

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