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満員の京王線に人を押し込むバイトをしていた。

人に言うと、100%興味を持たれる。別に電車が好きだったわけではない。当時アルバイトしていたテレビ局で、先輩から教えてもらった。朝7時半から9時半まで、2時間ひたすら車両に人間を詰める。けど基本は立ちっぱなしで安全確認が多い。時給1500円。平日毎日でも、朝9時半以降は自由。割が良いなと思って始めた。
実際には人を詰め込むだけではなかった。我々が想像している以上に通勤ラッシュというのは色々なことが起こる。ドアに挟まった荷物を取るためにドアをこじ開けたり、トラブル対応なんかもする。痴漢は毎日のように現れるし、急病人を車椅子で運ぶこともある。毎日何かしらの出来事が起こる。
そんな感じで朝2時間働いて、終わってそのまま京王線に乗って終点まで眠りにつき、大学に通う。こんな生活を、およそ3年間していた。
朝が弱い私は、このバイトがあったから大学を4年で卒業できた。と言っても過言ではない。

無言でいるのも、ドラマが生まれるのも駅。始発点にも終着点にも途中の景色にもなるのも駅。有象無象、あらゆる人の雰囲気を孕んだ独特の空間。そんな駅にいる駅員や車掌たちは良い人が多く、良好な関係を築くことができた。中でも高校を卒業して数年の2人とは非常に仲良くなった。名前を「S」と「Y」と呼ぶことにする。

Sはキャラクターのような見た目や駅構内アナウンスにも地元九州の方言が入ってしまうことなどから、駅員の先輩たちに大変可愛がられていた。
Yは目鼻立ちも性格もはっきりしており、自分をしっかり持っている、やや理系なタイプ。駅員帽に隠された剃り込みがチャームポイント。
2人とも小さな町の出身。はじめて東京に来たのは就職してからなので、京王線はおろか、東京の電車すら乗ったことがなかったらしい。そんな状態でよくこの混乱極める東京の電車社会を動かせるなと感心した。

朝の通勤ラッシュ時は私たちと一緒に、駅員も安全確認をしたり、電車に人を押し込んだりするので、SとYとはよく現場が一緒になった。そのうちSとYが同期であることを知り、3人仲良くなったというわけだ。その後SもYも車掌になったので、3年間ずっと一緒に仕事をしていたわけではないのだが。

正直、こんなに沢山京王線乗る人生は想定していなかった。2浪してまで行きたいと思い続けた大学は京王線沿線ではなかった。
入学式の帰り、京王多摩川駅と京王稲田堤駅の間に掛かる多摩川に反射した夕焼けを見ながら、来年は絶対この電車に乗らないと思ったことを、今でも鮮明に思い出す。
しかし結果的に私は京王線に乗る人生を選んだ。途中駅に呆然と佇んでいた私を京王線が拾ってくれて、運んでくれた。こう書くと綺麗に表現しすぎだけど、本当にそんな感じ。

そしてそんな人生の中にある、日常の何気ないところに、SとYの存在はあった。
飲み会で帰りが遅くなった時に橋本駅から乗った電車の車掌がたまたまYだったり、明大前駅で乗り換える時ふらっと改札窓口を見るとSが立っていたり。
彼らを見つけると、私は軽く手を振る。すると向こうも軽く振り返してくれる。友人とも家族とも違うけれど、生活圏内のどこかに必ずいる2人との距離感は、今思えばなんとも言えぬ安心感があった。

2人と朝まで飲んだ帰りに、Yにぽつりとこんなことを言われたことがある。「大学って人生の夏休みっすよね。俺らにはそんな長い夏休みなんて今までなかったんで、羨ましいっすわ」

お気楽なやつだな、と思っていたと思う。彼らは朝の仕事に加え、日中そして夜の仕事もある。特に台風や人身事故の時の対応は疲弊するらしく、手を出されることもあったそう。
美大生で東京生まれで、朝2時間だけ働いて消えていって、夜遅くまで飲んで、そのほかはいつもどこにいるかわからない私が、彼らには夏休みそのものに映ったのだろう。もちろん大学生なりに色々あるのだけど、東京の大動脈を守っている彼らの前で、私は何も言えなかった。

大学を卒業してから京王線を使うことは激減し、さらに数年前、LINEのデータが消えてしまったせいで、2人の連絡先もわからなくなってしまった。一応SNSでゆるくつながっているけれど、ほとんど使っていなさそうなので、わざわざ連絡するのも気が引ける。

先日「京王線の駅員の一日」みたいな動画が流れてきて、思わず見入ってしまった。懐かしかった。あの2人がいた大学時代の思い出が、頭の中で洪水のように流れてきた。
また3人で飲むのも良いし(もう朝まではしんどいけど)、偶然駅で会うのでも良い。 そもそも2人がまだ京王電鉄にいるのかすら知らないけれど、本音を言うと、できればまた会いたいなと思う。2人と出会って10年経った今もまだ、私は相変わらず夏休みみたいな人生を送っているけれど。


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