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[奇談綴り]のちにツガルと名付けられた国道のラクダ

怖い話ではないのですが、状況がだいぶ奇天烈なので奇談としてまとめました。

私がその生き物を初めて見たのは、お盆の墓参りの途中でした。
はまなすラインと言われる国道279号線を走行中、海岸沿いの草地に日本では非常に珍しい生き物がいたのです。

すなわち、フタコブラクダがぼーっと立っていました。

色素の薄い北の浜辺にラクダがいるのはあまりに奇妙な風景で、車を止めてもらうほどではなかったのですが、窓にかじりついて何度も見直しました。
その場所にはかつて人気のオートレース場と小さな観光牧場があり、1年ほど前に倒産したという話が伝わっていました。
動物はすべて売り飛ばされたものと思っていたのですが…。

数日後、私は自転車でラクダを見かけた海岸まで行ってみることにしました。
隣町との境目で、私の家からだと自転車でも20分前後かかります。
車通りの多いそこそこ危険な国道を、本当にラクダだったのか確認するためだけに20分走りました。

ラクダは本当に海岸にいました。
倒産した施設とはいえ敷地に勝手に入ることはできません。網状の柵があり、その向こうにスッと立っていました。
その辺に自転車を止めて大きさに感心しながら見入っていると、スタスタと近寄って顔を寄せてきました。
柵の隙間から手を伸ばすと、気持ちよさそうに撫でられています。

特に痩せているわけでもないので、おそらく餌をもらっているのでしょう。
敷地は広く、ラクダ一匹であれば何とか生きていけそうなだけ草も生えているように見えました。

大型の生き物ではありますが穏やかで、毛は牛より柔らかく、まつ毛がものすごく長くて優しい目をしていました。
ひとしきり撫でたり話しかけたりしてから家に帰ったのですが、海岸にたった一匹立っているラクダはとても気になりました。
遠いのでしょっちゅう行くわけにはいきませんでしたが、数回会いに行き、何を食べるかわからなかったので雑草に紛れて生えている牧草を引っこ抜いて渡してみると、おいしそうに食べてくれました。

そうしているうちに冬になり、豪雪地帯ゆえに会いに行くことができなくなりました。
一度だけ、通りすがりに様子を見ることができましたが、寒そうに雪の中に立ち尽くしていました。

さて、あんな場所にラクダがいるのはとても目立ちます。
いつしか「国道のラクダ」と呼ばれ、ちょっとしたアイドルのようになっていたようです。
新聞に記事が載り、テレビのニュースでも紹介されました。

春になり、さらに季節が過ぎ、私が気付いた時にはもうラクダは居なくなっていました。
ああ、行く先が決まったんだな、と寂しく思いましたが、それだけでした。

月日は流れ、私は大人になり、東京に就職しました。
ある日、なんとなく見ていたネットニュースで気になる記事を見つけました。
それは、横浜の野毛山動物園にいるラクダの「ツガル」が、推定で世界最高齢になったことを伝えるニュースでした。

ラクダのツガル。
あのラクダがいたのは南部と下北の境目ですが、他県の人間なら青森=津軽だと思い込んでいても不思議ではありません。
慌てて検索すると「青森県の観光牧場から横浜にやってきて、青森生まれなのでツガルと名付けられた」という情報がありました。

絶対あのラクダじゃん…!
生きてた! 生きて世界最高齢になってた!

詳しく調べたところ、国道のラクダのニュースを見た篤志家の方が、野毛山動物園に話を通して輸送費を負担してくれたのだとか。
あの当時、ほかにいた資産価値の高い動物と親であるラクダの夫婦は早いうちに売られていき、タイワンザルと現地で生まれた子どものラクダだけが放置されていたのだそうです。

運ばれたラクダはツガルと名付けられ、人懐こさから営業部長を拝命し、横浜の人たちにとても愛されているのだとか。

気になっていたラクダが思ったより近くにいて、それに長い間気づかなかったことに愕然としました。
まあ、隣県の動物園とかよほど理由がないかぎり気にしませんよね。
新卒当初は新横浜で仕事をしていたし、そのあとも中華街まではしょっちゅう行ってたのにな…。

近くに居ると思うと意外と行かないもので、私がツガルさんとなったラクダに再会したのは、さらに1年ほど経ってからでした。
当時もうずっと寝ているような状況で、ちょっとだけ起きてはくれましたが昔のように撫でることは叶いませんでした。
思い出にあるよりだいぶ大きい体で、住処も丁寧に整えられていて、野毛山で大切にされて暮らしていたことが見て取れました。

国道のラクダだったころのツガルさんを撫でたことのある人間は、おそらくとても少ないと思います。
野毛山では人気だったそうなので、ツガルさんとして触った人はたくさんいると思いますが、あの北の地で、まだ大人になりきっていなかったラクダを触ったことがある人間は、もしかすると一桁程度しかいないのではないでしょうか。

残念ながら認識はしてもらえなかったようですが、長らく心の片隅にあった知りラクダに再会できたのは、とてもうれしい出来事でした。
もっと元気な時に気づけていたら…いやまあどのみち覚えてなかったでしょうけどね。
わたしの姿もだいぶ変わってますし。

ツガルさんは2014年に38歳で大往生しました。もう9年前になるんですね。
天に還ってしまう前に2度ほど会いに行けて良かったと思います。
今頃は仲良しだったという連れ合いのラクダと彼岸で楽しく暮らしているでしょうか。

ふと思い出したので書き留めてみましたが、不思議な経験だったと思います。
ありがとうラクダさん。またいつか。

wikiがかなり正確ですので、気になった方は読んでみてください。


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