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弁解と弁明 「良い意味で・・・」

子供の頃に親に怒られて、「言い訳ばかりするな」と言われた経験がある人は少なくないでしょう。私は理屈っぽい子供でしたから、親に弁解しようとして、「屁理屈言うな」とよく怒られました。

弁解とは、”理由を説明して、自分を正当化すること”です。つまり、弁解は自分の行動の正当性の主張に他なりません。要するに、自分自身のミスや非には正当な理由があると説明し、相手に納得してもらう場合に使う言葉です。ただし、往々にしてその理由は薄弱で、正当化がうまく行かない場合が多い気がします。詭弁きべんという言葉があるように、弁解にも同じニュアンスが含まれているみたいです。正当化というのは、”それが元々は正当ではない”ことを暗に意味しているからです。

弁解に似た言葉に弁明というのがあります。弁明とは、”事実を述べて相手の理解を得ること”です。弁解との違いは、”言い訳”や”言い逃れ”のニュアンスがないことです。弁明の”明”には、”道理を明らかにする”という意味が含まれています。

弁解では、あの手この手を使って相手を納得させようと必死になります。しかし、相手も素直に納得はしてくれません。手強い相手だと、「さっきは○○と言ってましたよね」などと反論してきます。こんな時には苦し紛れで、実は「いい意味で○○だと言っていたんですよ」などと言い訳をします。しかし、”いい意味で・・・”を使う時には決して”いい意味”ではありません。

”いい意味で”は、ビミョーな言い回しで、はっきりと白黒つけたくない場合の曖昧な表現です。”いい意味で”は表面上は批判していないので、やんわりと“褒めている”ように勘違いさせる効果を狙っています。たまに使うくらいなら問題ありませんが、頻繁に使えば”けなされて/批判されている”と思われてしまいます。

他者を批判するのは勇気のいることなので、ついつい”いい意味で”を多用しがちですが、注意が必要です。

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