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科学エッセイ分冊 考古学編

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#空想考古学

邪馬台国関連記事のまとめ#2

邪馬台国が何処にあったのかを特定する、いわゆる邪馬台国論争は決着していません。これは、歴史的な文献資料が少ない事と、決定的な証拠が出ていないためです。一般的には、大学や研究所のエライ人達は「畿内説」を支持していて、在野の研究者は「九州説及びその他」を支持しています。 ゴールデンウイーク明けで少し疲れているので、今日も過去記事のまとめです。今回は魏志倭人伝を基にした『空想考古学・邪馬台国はココだ!』を紹介します↓↓。手抜きでスミマセン。 ところでタイトル画は、鋼鉄ジークとい

邪馬台国阿波説について 奄美大島説もチョコッと

ここ最近、邪馬台国の候補地に関する話題がネットニュースになっていました。新しい候補地は、現在の徳島県に当たる”阿波の国”です。この説は最近の説ですが、邪馬台国論争の二大巨頭である畿内説や九州説と違う点で注目されているようです。 邪馬台国論争は決着がついていないので、様々な説が登場しています。日本国内だけでも多くの候補地がありますし、エジプトやインドネシアなどの海外に候補地を求める説もあります。研究には仮説がつきものなので、様々な説が出て来ても問題ありません。ただし、決着をつ

空想考古学・邪馬台国はココだ!#8 倭国大乱の実態

 倭国大乱は、弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱のことです。この争乱のことは、『後漢書』『三国志』『梁書』などの中国の複数の史書(正史)に記述されています。その内容は、およそこんな感じです。  倭国はもともと男子を王としていたが、70〜80年を経て、倭国内で国王の座を争う大乱が発生した。その争乱は暦年(約10年?)続いたのち、邪馬台国が勝利し、邪馬台国の一女子を王とすることで国中がまとまった。その女王の名を卑弥呼という。  邪馬台国がどこにあるにしろ、九

空想考古学・邪馬台国はココだ!(番外編) 邪馬台国と淡路島

 今回は、魏志倭人伝から少し離れて、邪馬台国と古事記の関係について空想したいと思います。古事記はご存知のように、魏志倭人伝よりずっと後の歴史書ですので、直接の関係はありません。しかし大和王権が多少なりとも邪馬台国の影響を受けているなら、その痕跡が古事記の中に残っている可能性(?)があります。  古事記の最初の部分で有名なのが「国生み」の場面です。イザナギとイザナミの尊の二柱が協力して、”日本列島”を作ります。最初に作成に成功した島は「淡路島」です。日本で一番大きな島は本州で

空想考古学・邪馬台国はココだ!#5 出発地と狗邪韓國

 魏志倭人伝には、目的地までの距離が書かれている箇所があります。しかし、目的地ははっきりしているものの、「どこから出発したのか?」が明確に書かれていないので、解釈する人によって混乱を招いています。連続した経由地までの場合は比較的分かりやすいのですが、特に邪馬台国までの全旅程である(一)万二千里や水行十日陸行一月は、どこから邪馬台国までの距離かがはっきりわかりません。この出発地点については、これまであまり議論が無かったように思います。魏志は中国の正史ですから、出発地は当時の中国

空想考古学・邪馬台国はココだ!(番外編) 倭人とアイヌ

 魏志倭人伝の倭国には、南方を思わせる記述が多く出てきます。例えば、『倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣』(倭の地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。みな、裸足である)です。縄文時代の途中から、平均気温が上昇しましたが、それにしてもビニールハウスの無い時代に、北部九州や畿内では年中生野菜は食べられなかったはずです。  また倭国の(南方系の)風習で、刺青の記述も数ヶ所出てきます。『男子無大小、皆黥面文身』(男子は身分の区別なく、みな顔や体に入墨をする)がそれです。倭人の男性は、顔や体

空想考古学・邪馬台国はココだ!#4 魏志倭人伝のファンタジーな国々

 今回はちょっと長くなりました。空想考古学では、邪馬台国を奄美大島に想定しています。魏志倭人伝の女王国(邪馬台国)の周りには、まだ解釈が定まっていない不思議な国がいくつか記述されています。しかし、奄美大島を邪馬台国と考えると、色々と辻褄が合うのです。魏志倭人伝の読み下し文になりますが、以下が邪馬台国周辺の謎の国々の箇所です。 『女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國、黒齒國あり、またその東南に

空想考古学・邪馬台国はココだ!#3 総合的に考えると、ココしかありません!

ずいぶんと結論を先延ばしにしてきましたが、今回は結論をズバリ言ってしまいます。私の考える邪馬台国は、奄美大島です。この結論に達した経緯の概要を今回は紹介します。 これ以後に紹介する邪馬台国・奄美大島説は私のオリジナルですが、私以前に奄美大島説を唱えていた人がいます。それは、古代史家の小林惠子さんです。小林さんは著書『古代倭王の正体ー海を越えてきた覇者たちの興亡』(祥伝社)で、自説を展開しています。この中では、当時の東アジア情勢を考慮して、グローバルな視点で邪馬台国を奄美大島

空想考古学・邪馬台国はココだ!#2 『魏志倭人伝』解釈の違和感

 「群盲、象を撫でる」という諺があります。この諺は、「大勢の盲人が象の体を撫でると、各々が自分の触れた部分の印象からしか象を把握できず、象の全体像についてはわからないということから、 平凡な人間には偉大な人物や大事業などの一部分に触れただけでは、正しい評価をしたり、全体を見通したりはできないということ」です。現在の邪馬台国論争は、この諺と同じ状態に陥っている気がします。  魏志倭人伝は、有名な次の一節から始まります。 『倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時

空想考古学・邪馬台国はココだ!#1 邪馬台国への道

 前回のイントロ篇(空想考古学・邪馬台国はココだ!#0)で、魏志倭人伝の疑問点を13項目ほど列挙しました。今回は、この中から切りの良い10項目をピックアップして、今後の方針を示そうと思います。   いよいよ邪馬台国へ船出するわけですが、そのためには一つの大前提があります。その大前提とは、これから示す10項目に先立って優先される、「0.魏志倭人伝に書いてあることは、全て事実として受け入れる」です。これまでの邪馬台国説では、それぞれの自説に都合の良いように、方向や距離が曲解され

空想考古学・邪馬台国はココだ!#0 魏志倭人伝の問題点

 魏志倭人伝を巡る議論の中では、魏志倭人伝の内容に関する多くの疑問が呈されています。それらの疑問点をまとめると、以下のようになります。これは、『「新説邪馬台国の謎」 殺人事件』(荒巻義雄 著)の後書き(321p)に書かれています。以下の13項目は、50冊以上の邪馬台国の関連本を読んだ荒巻さんがまとめたものです。 1.韓国南岸に比定されている狗邪韓国がなぜ、「倭人伝」では倭国北岸と書かれているのか。 2.帯方郡から狗邪韓国まで七千里とある謎 3.最大の謎として、「倭人伝」の記