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科学エッセイ分冊 考古学編

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2021年10月の記事一覧

空想考古学・邪馬台国はココだ!#2 『魏志倭人伝』解釈の違和感

 「群盲、象を撫でる」という諺があります。この諺は、「大勢の盲人が象の体を撫でると、各々が自分の触れた部分の印象からしか象を把握できず、象の全体像についてはわからないということから、 平凡な人間には偉大な人物や大事業などの一部分に触れただけでは、正しい評価をしたり、全体を見通したりはできないということ」です。現在の邪馬台国論争は、この諺と同じ状態に陥っている気がします。  魏志倭人伝は、有名な次の一節から始まります。 『倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時

空想考古学・邪馬台国はココだ!#1 邪馬台国への道

 前回のイントロ篇(空想考古学・邪馬台国はココだ!#0)で、魏志倭人伝の疑問点を13項目ほど列挙しました。今回は、この中から切りの良い10項目をピックアップして、今後の方針を示そうと思います。   いよいよ邪馬台国へ船出するわけですが、そのためには一つの大前提があります。その大前提とは、これから示す10項目に先立って優先される、「0.魏志倭人伝に書いてあることは、全て事実として受け入れる」です。これまでの邪馬台国説では、それぞれの自説に都合の良いように、方向や距離が曲解され

邪馬台国はどこ?(番外編) 邪馬台国論争のアンチテーゼ 邪馬台国・岩手説

 八幡平は、秋田県と岩手県にまたがる標高1,614 mの山及びその周囲の高原台地で、国立公園に指定されています。八幡平は、およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできています。頂上部には、9千~5千年前に発生した水蒸気爆発による多くの火口ができています。その火口に水が溜まり、八幡沼・ガマ沼・メガネ沼などの沢山の火口沼が形成されました。  伝説によると、奥州蝦夷征伐に訪れた坂上田村麻呂が、この地を八幡平と名付けたとされていますが、史実では坂上田村麻呂はこの地には来ていない

邪馬台国はどこ?#5 邪馬台国・四国説

 一連の記事では、邪馬台国論争のメインディシュである九州説と畿内説はひとまず棚上げして、マイナーな説ばかりを紹介しています。今回は四国説で、1970年代後半より注目され始めた新しい説だそうです。  邪馬台国までの道順(これが曲者ですが)を表している魏志倭人伝では、「南至投馬国水行二十日」を経て「南至邪馬台国水行十日」となっていますが、邪馬台国四国説の解釈では、まず大陸から渡り着いたとされる九州北部から水路で豊後水道を南下し、高知県西部から四国へ上陸、その後は畿内説と同じく南

邪馬台国はどこ?#4 邪馬台国・新潟説

 邪馬台国の所在地も、エジプト、沖縄、インドネシア(ジャワ島)と来て、今回はやっと本州ですが、本命の近畿地方ではなく新潟です。この説は、前にも紹介した『珍説・奇説の邪馬台国』岩田一平著(講談社)に詳しく載っています。  新潟県・栃尾市に邪馬台国があったと主張しているのは、栃尾市に住む桐生源一さんです。桐生さんは栃尾市で生まれましたが、栃尾市は平成の大合併により、2006年に長岡市に編入されて今はありません。旧栃尾市は、織物の町として知られていました。歴史は古く、第11代・垂

空想考古学・邪馬台国はココだ!#0 魏志倭人伝の問題点

 魏志倭人伝を巡る議論の中では、魏志倭人伝の内容に関する多くの疑問が呈されています。それらの疑問点をまとめると、以下のようになります。これは、『「新説邪馬台国の謎」 殺人事件』(荒巻義雄 著)の後書き(321p)に書かれています。以下の13項目は、50冊以上の邪馬台国の関連本を読んだ荒巻さんがまとめたものです。 1.韓国南岸に比定されている狗邪韓国がなぜ、「倭人伝」では倭国北岸と書かれているのか。 2.帯方郡から狗邪韓国まで七千里とある謎 3.最大の謎として、「倭人伝」の記