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№301 コロちゃんと社会崩壊

ボクのコロナに関する主張について
誤解している人が多いので
言っておきたいんですが、
決して「反自粛」を謳っているわけではないということです。

別に「自粛」というか、
「緊急事態宣言」が必要な時だってあるだろうから、それはそれで否定しようとは全く思いません。

ただ問題なのは、
「日本におけるコロナ被害の程度」と
「自粛の程度」のバランス、
あるいは「医療崩壊危機の程度」と
「自粛」のバランスです。
 

例えば、立憲民主の枝野さんが言うように
「ゼロ・コロナ」にしたいのなら、
そりゃ、ずっーと
「緊急事態宣言」を出しておくのが
一番いいに決まっているわけです。

でも、それじゃ社会はどうするの?

社会は、モノじゃなくて、
「生き物」、「有機物」だから、
一度「血」を止めてしまえば、
そこから壊死していきます。

それは大きな目で見たとき、
感染被害よりも大きな被害を社会に、
そして個人にももたらしますよ!
それを考えなくていいんですか!
という、ただそれだけのことを
ずーっと言い続けているだけなんです。

そのバランスの議論もなしに、
いきなり「緊急事態宣言」にもろ手を挙げて
バンザイって、
そりゃおかしいだろと言っているだけで、
こんなの小学生でも分かる理屈でしょう。
#黒タマですごめんなさい
 

あるいは医療も同じです。

病床の2%しかコロナに使っていなくて
「医療崩壊の危機」はないだろうと。

それもコロナ感染が始まった頃ならまだしも、
一年経って2%ですからね。

「30%、40%まで埋めましたがもう限界です、コロナ病床をこれ以上増やすには政策的な時間がかかります」、と言うのなら分かります。

それでも、「生活者の皆さんに負担をかけるのは忍びない、自粛被害に対しては徹底補償するのでご協力願いします!」というのが最低限の礼儀でしょう。

それが「自粛して当然!」という
メディアや政治家、あるいは一部の医者たちの態度は何なんでしょうか?

まずは、そこに素直に怒らなければ
話は始まらないだろうと、
そこをぜひご理解いただきたいと思っています。

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▼統計に表れないものを見よう
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今回の危機で
何が問題になっているのかを明らかにする必要があると思うのですが
ボクは「命か?経済か?」という二分法が
どうしても気になります。

マスコミ世論は、感染者が増えると
「命を守れー!がおー!」の大合唱になり、
次にGDP速報が発表されて
景気が大幅に落ち込んだとなると
「経済を回せー!がおー!」、
という方に極端に振れてしまいます。

この両極端を、
まだしばらく行き来することになると思うんです。

でも「命」とは何だと考えたときに、
コロナ感染症の死者だけが
死者ではないことは明白です。

経済死、社会死、あるいは最近は「絶望死」という言葉もあります。

社会に加わる強い圧力で、
進む方向が変わっていくんです。

変化を強いられることで、
当然、いろいろな犠牲も出てきます。

こういう時期は、
コロナによる死者が毎日何人出た!
という統計だけに目が行きがちですけど、
目に見えない膨大な犠牲を
どう評価するかが本来の役割ですよね。

自粛によって生じる影響を、
数字に表れてこない部分まで「見える」ようにして、
今の政策でいいのかを
議論しないといけないのですが、
なかなか冷静な議論は難しいですね。

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▼コロナには慣れるしかないよね
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街中の様子を見ても、
自分の知り合いの範囲でいろいろと話をしていても、
以前ほど「自粛だ!自粛だ!」
というムードではないところがあります。

去年は空気があまりにも萎縮し硬直していたので、文句を言いたくもなりましたが、
今はあんまりそう思わないんですよね。

要するに、みんなコロナに慣れてきたんでしょう。

むしろ今感じているのは、
去年の3月、4月に想像していたよりも、
結構多くの人が亡くなってしまったということです。

確かに、冬になって気温が下がれば
また増えるだろうという話は
当時からありましたけどね。

あの時思ったよりはコロナは手強いなーと。

それと、日本は何らかの理由で
犠牲者がある程度少ないわけですけど、
やっぱりアメリカとかヨーロッパの死者数は
顕著な数字なんですね。

「総死者数」が例年よりも、
だいたいコロナ死者数の分ぐらい増えている国があります。

つまり例年よりも
余計に人がたくさん死んでいるというのは
間違いなくて、
日本でも直近の死者数はかなり増えています。

しかしそこで思うんですけど、
だとすると去年の4、5月ぐらいの
世の中のマインドと
今のマインドに全然整合性がないわけで、
そのことをもう少し振り返った方が良いと思うのです。

情報の洪水の中で、
ボクたちは、どんどん忘れてしまいますからね。

当時はあれだけの被害で大騒ぎしていたわけです。

でも、今はこれだけ被害が広がっても
あんまり何も言わなくなってしまった。

要するに慣れたということなんでしょうけど、
是非はともかく、
そういうものだという自己認識を
ボクたちは持つべきだと思っています。

ボクはコロナ死を防がなくてもいいとは
全然思わないんですけど、
感染症被害というのは
ある程度までは慣れるしかないというところがどうしてもあって、
しかも人間は実際に結構コロナに慣れてしまうということが事実として分かったというのが、
この一年ぐらいの重要な経験かなと分析しています。
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▼科学者の“非常識”が社会を壊すよ

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科学者が世論の慣れや気分に沿って
言うことを変えていくっていうのは、
絶対に問題だと思うんです。

それはいわゆる科学者倫理として、
極めて不道徳な振る舞いとして
断罪されねばならないと思うんです。

例によって、
また西浦さんが何を言っているかというと、
第一波の時の緊急事態宣言の時には
一桁になるまで自粛を続けろ!
と言っていたんですけど、
今回は二桁になるまでと言っています。

あるいは、この間は
八割自粛だと強く主張したんですけど、
今はそんなことを全く言っていない。

あの時に八割自粛が必要なんだったなら、
今回もっと感染者がいるんだから
九割とか、九割五分とか言ってしかるべきなのに
そうは言いません。

そして、
そうやって意見を変えた理由を
全く説明などしていません。

ボクはこれは科学者として
極めて不誠実で不道徳的だと思っています。

しかも、世論も他の科学者たちも
こういう西浦氏の振る舞いを
誰も批判していないのが現状です。

つまり今、コロナをめぐる世論環境のみならず
行政的議論も、
さらには学術的議論においても
「不条理」がまかり通っているわけです。
 

コロナ対応を現場で、
ずっと頑張っている友人の医者が言ってましたが、今の日本政府のコロナ対応は、
外国では滅茶苦茶馬鹿にされてるそうです笑。

供給力も増やさないで医療崩壊だと騒ぎ立て、
死者数も感染者数も
欧米諸国の何十分の一の水準なのに、
欧米並みの自粛を政府が要請し、
経済がボロボロになる、なのに、補償もしない。

日本は本当に大ピンチです……。





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